第九十一話

「おう、どうした。村の使いってなんだ?」

玄関のドアを開け、目の前の人物に光が話しかける。ドアをストッパーが掛かるまで開け放ち、出入り口を塞ぐように光が立った。志門は靴を履いて後ろに控え、裕生は部屋のドアに寄りかかって待機する。

「久しぶりっす! って、まだ三日ぶりくらいだっけ。光さん、比丘尼様を連れてきたんだよね? 俺は村長さんからのお達しで、光さんが比丘尼様を保護してるなら丁重にお連れしろって言われてるんだ。

なんか村じゃあ、カニとか海老とか、正月みたいなご馳走用意してお祭り騒ぎになってるよ。比丘尼様が戻ってくるからめでたいってさ」

「……めでたいだと?」

光は当惑した。純の言うことは、さっき茉菜や父親から聞いた村の雰囲気と大分異なっている。村では伝説の完成に怯えているのではなかったのか……? 

でも目の前にいる純はあっけらかんとした顔で、楽しそうに光を見上げている。光は狐につままれた様な気持ちで純に確認した。

「村長の使いか。でもなんで比丘尼が俺と一緒にいると思うんだ? 俺は村に一切連絡入れてないぞ」

「僕はよく分かんないけど、光さんの親父さんも村の人たちも、今回の成り行きをあんまり重要視してなかったみたいなんだよね。多聞が比丘尼奪還にしくじって、村から出てってくれればラッキー、くらいの勢いでさ。でも老人会の人たちは殺気立ってた。光さんと多聞が出発してから何度も集まって話してたもん。

年寄りは集まって話すのが趣味みたいなもんだからって、親父さんも気にしてなかったみたいけど、さっき羅威くんの破魔矢が倒れて多聞の写真が変質してから大騒ぎになってさ。ついに鬼に死人が出た。天罰が下った、鬼神の怒りを抑えるには比丘尼様に来てもらわなきゃならないって」

純は一度言葉を切ると、悲しそうに続けた。

「羅威くん……死んじゃったんだね。僕、親がいないから羅威くんと気が合ったんだ。お互い苦労するな、ってさ。お兄さんみたいに思ってたのに、残念だよ」

純の声は今にも泣きだしそうだった。光は痛々しい気持ちで純を見たが、羅威と純が仲良くしていたとは知らなかった。お互い酒造りの現場にいたが、羅威はアウトローで人とは交わらなかったし、純は明るい性格なのでいつもみんなの中に溶け込んでいた。

「あ、それでここに来た理由なんだけど、光さんは多聞と羅威くんを追いかけて行ったでしょ? だから羅威くんが死んだ時も、そばにいたんじゃないかって話になったんだ。羅威くんのことは昨日、街で買い物してるのを見かけた人がいて、こっちに戻ってきてるって分かってた。

だから羅威くんの家に行けば光さんもいるかもしれないって。で、羅威くんの家知ってるの僕だけだったから、取り急ぎ確認してこいって頼まれたんだよ。それで比丘尼様がいたら是非来ていただけって」

光は返事に窮した。純の言い方を聞くと、村の様子は思ったより緊迫感がない気がする。確かに羅威が死んだことで騒ぎにはなっただろうが、比丘尼を掴まえようとまで考えている様には見えない。

実際、純以外の人間は見当たらない。純も比丘尼を必ず連れてくるように言い含められているような様子もない。無邪気ともいえる視線で、光を見上げて答えを待っているだけだ。

光が思案するように答えを躊躇っていると、純は不思議そうに首をかしげた。そして「あ」とつぶやいて何かに気付いたように口を開けて手を打った。

「光さん、もしかして比丘尼様が好きな人を連れて刀利に入った時のこと、考えてる? オジイサン達がすごく気にしてたみたいに」

自分の思い付きが合っているだろうという期待が込められた、キラキラした目で純は光に迫った。光は勢いに押されて「う……ん、まぁそんなとこだ」と答えた。

「やっぱり! でもそのことなら心配いらないと思うよ。じい様たち、すっごく考えたみたいでやっと結論が出たんだ。方法はね、比丘尼様をまず先に村に迎える。そして戟を神棚に収める。その後、好きな男を村に入れる。そうすれば伝説の完成は起こらないっていう見解らしいよ」

光は唖然として純を見た。未祥と可畏と戟を別々にする……? そんなだまし討ちのような方法で伝説の完成が防げるのか──

「でもそれでは、比丘尼の夫≠フ証明となる戟の所有者は誰になるんですか? 比丘尼は戟を持ったものとしか結ばれることは出来ないんでしょう?」

志門に突然後ろから話しかけられ、光は振り返った。光の体が動いたことで、志門は初めて井田川純と対面することが出来た。純は一見、自分より年下に思えるほど若く見えた。身長は男にしては低い──見たところ一六〇センチあるかないかくらいだった。

顔立ちは整っていて、美男子というより可愛いと言われそうなタイプだ。髪はカラーリングされているのか茶色く、頭頂部はふんわりパーマがかかっている。田舎に住む素朴な若者という外見ではなく、都会を歩いているイマドキのメンズ≠ネイメージだった。

純は目をパチクリさせて志門を見た。それからニコリと懐こそうな笑みを浮かべる。

「あれ、もしかしてさっきインターフォンで応対してくれた人? わー、若いね。高校生くらい?」

明るい純の対応に志門は少し身を引いた。純の笑顔は緊張感がまったくなかった。さっきまで自分たちが何を悩んでいたのか、分からなくなりそうなほどだった。