第九十話

「教える前に答えてくれ。親父は……前の状態に戻りたいのか? 未祥は多聞の屋敷に入った方がいいと……」

「俺は比丘尼を拘束することには反対だ。実際、あの大悪の多聞はもういないのだから、前のようにはならんだろう。可畏と比丘尼、そして鬼たちも生きていける方法を探ってみよう。その相談に行きたいんだ」

光は父に住所を告げ、電話を切った。すかさず可畏がそばに来て「どういうことだ?」と問いかける。

光は事情を話した。未祥は恐怖のあまり息をすることも出来なかった。裕生が未祥の肩を抱く。志門は唇をこわばらせ、楓はらいらを抱き上げ緊迫した表情で一同を見た。

「村に戻ると……消える……」

可畏は自失したままつぶやいた。それは可能性に過ぎなかったが、絶対ないとは言い切れない。光の父親はまだいい。鬼や比丘尼の問題を解決する方法を考えてくれようとしているのだから。

でも古参の人々の考えはもっと融通が利かないだろう。もしかしたら伝統を守る≠スめに未祥を掴まえようとするかもしれない。

可畏は視線を彷徨わせ、ふと、らいらを見た。母親に抱かれたらいらは灰色の瞳を開け、まばたきしながらゆっくり周りを眺めている。弟の残した大切な命──。

もし伝説の完成で鬼が消えるとしたら、らいらも消えてしまうのか……? まだ二ヶ月にしかならないのに。

可畏の腕を、光がつかんだ。光の目もらいらを捉えている。その瞳には可畏と同じ思いが見て取れた。未祥と可畏が愛し合う事に罪はない。でも、らいらが消えてしまうことは胸が痛む。何より、残された楓は気が狂うだろう。

「可畏、お前逃げろ」

光は可畏を真っ直ぐ見つめて言った。光がつかむ可畏の腕は痛みが走るほど強い力が入っている。光の目には、追い詰められたもの特有のギラつきがあった。

「未祥と二人でどこか遠くへ逃げて、しばらく身を隠せ。親父は全員が無事な方法を考えると言っているが、村のみんなに迫られたら抵抗しきれず、未祥を拘束すると言いだすかもしれん。親父がじいさんに……自分の父親に逆らえるとは思えないんだ。

二、三十年もすれば頭でっかちのジジババも、おっ死ぬか病院送りか、どっちかになってるだろう。その頃戻ってきて、伝説のことはまた考えればいい。とにかく今はダメだ。みんな切羽詰って正常な判断が出来なくなっている気がする。きっとじいさん達は村を元に戻すこと≠オか考えてないと思う」

光の考えは、事の的を射ていると可畏は思った。口元を引き締め、可畏は未祥を見る。逃げて生活する事には慣れている。今までと同じようにやればいいだけだ。未祥が無事なら躊躇うことなど何もない。可畏は光にもう一度目をやると、強く頷いた。

その時、玄関のチャイムが鳴った。

突然響いた音に、六人はギクリと体を硬直させた。話に集中していて外の気配に全く気付かなかった。可畏は胃が焼けるような緊張を覚えた。まさかもう村の迎えが来たのか……。

でも羅威はこの場所を村には教えていないはずだ。光ですら知らなかったのだから、村の誰かが知っているとは思えない。気を飲まれて誰も動けず、反応がないせいかもう一度チャイムが鳴った。

「オレが出ます」

志門が言って、部屋のドア口にあるテレビドアフォンへ急いだ。画面は上から一人の男を映し出していた。オレンジ色のジャンパーを着た、まだ年若そうな男性だった。

「はい。どちら様ですか?」

志門が通話ボタンを押して話す。外の男性はインターフォンへ口を寄せる仕草を見せた。

「あのー僕、井田川純(いだがわじゅん)といいます。そちらに光さんいますか?」

志門は「ちょっとお待ちください」と答えて通話ボタンを離した。光を振り返ると、どうするか確認する視線を向ける。

「純のことは良く知ってる。村の若造だ。酒造りを一緒にしてるが気の好いやつだぞ。一人か?」

志門が頷くと、光はドアフォンの前まで行き、通話ボタンを押す。

「純、俺だ。どうした? なんでここを知ってる?」

「あ、光さん! やっぱりここにいたんだね。僕は村からの使いで来たんだ。この場所は羅威くんから以前教えてもらったんだよ。えーと、直接話したいんスけど、ダメ?」

村からの使い、と聞いて可畏は未祥のそばに駆け寄った。未祥は可畏の腕に飛び込む。未祥は脚が震えてしまい、立っているのがつらかった。

どうしよう……と考える。あたしは部屋に閉じ込められるの? 可畏はどうなるの? 二人が一緒なのは危険だと村人が判断したとしたら、可畏から引き離されてしまうの……?

光は一瞬可畏を見ると、「ちょっと待ってろ」と純に伝えてボタンを離した。そして可畏達のいる場所に戻り、声をひそめて言った。

「俺は純に話を聞いてくる。あいつは特に害があるとは思えんが、村からどんな指示を受けているのか分からん。可畏は未祥と逃げる準備をしろ。羅威の車が裏の車庫にあるから、裏口から出ればいい。鍵を忘れるなよ。

裕生、あいつがヤバいと判断したら合図するから可畏に知らせてくれ。楓さんは念のため姿を見られない方がいい。窓に寄らず、部屋の奥にいてほしい」

四人は頷き、それぞれそっと動いた。不安そうに見上げる未祥に、可畏は笑みを返す。何があっても俺は未祥を守る。可畏の微笑はそれを物語っていた。

「志門は俺と一緒に来てくれ。純に仲間がいたら援護を頼む」

「わかりました」

光と志門、裕生は玄関に向かった。光の大きな背中を追いかけながら、志門は奇妙な圧迫感を味わった。

建物の中の空気が、微妙に振動している感じがする。──羅威さん? と志門は思った。

そこで光が玄関を開けた。