第八十六話

「羅威さんです。多分、娘さんと可畏さんの為に危険な存在を排除したんだと思います。この建物の中は羅威さんの気配が満ちていますから」

志門が言うそばから、小さな光りたちが壁の中に入っていった。可畏の思った通り、この建物には羅威が宿ったのだ。

羅威が夢見て、愛した場所……。羅威はこの先多聞がらいらや可畏の脅威となっても、光や可畏が多聞を殺すことは出来ない、と判断したのだろう。弟はその厭な役を引き受けてくれた。可畏の目にまた涙が滲んだ。

「良く考えると、多聞も呪われていたのかもな。多聞の長男として生まれた奴は必ず父親を殺してきた。そんな残酷な事が繰り返されてきたのは、大昔に伊助が犯した罪の呪いかもしれない」

光はある種の憐憫を込め、多聞の遺体を見て言った。可畏と志門も同じ気持ちで多聞の残骸を見る。光がため息交じりに言った。

「あんまり気持ちいいもんじゃないが、こいつを処理しなきゃならんな。掃除機で吸い取ったら──マズイかな」

「一応、人でしたしね……。せめて箒とチリトリとか」

志門は言ってはみたものの、多聞の残骸を箒でチリトリに集めることが、掃除機を使うことに対してどれほどマシ≠ネのか分からなかった。

可畏が「チリトリに集めて、穴に埋めよう。完全に綺麗にならなかったら掃除機で吸い取って雑巾で拭く」という折衷案を出し、実行することになった。

男たちが多聞を葬っている間に、未祥と裕生は楓の話を聞いた。

「羅威くんに初めて会ったのは二年前なの。あたしが十八の時。羅威くんのお母さんが入院していた病院の売店にあたしのバイトが決まって、時々そこで見かけたんだ。羅威くんはいつも病院で悲しそうな顔してたから、あたしは試供品のジュースとか栄養剤を店長に内緒で何度も渡したの。

あたしは施設出てから自分で生活しなきゃならなかったし、昼は売店、夜は居酒屋で働いてた。その居酒屋で飲み物運んだお客さんの中に偶然羅威くんがいて、あたしのこと覚えててくれて、それから来るたび話しかけてくれるようになったんだ。

羅威くんはいっつも違う女のひと連れてきてたけど、ある日一人で来て、あたしがバイトあがる時間まで待っててくれたの。その日あたしのアパートに来て……そういうことになって、あたしが朝ご飯作ったらスゲェ美味いって褒めてくれて……」

楓はこぼれた涙を手で拭った。未祥がティッシュを渡す。楓はお礼を言ってから、らいらを抱き直した。楓の肩に掛けられたブランケットの中で、らいらは母の胸に吸い付いていた。

楓は育児に必要なグッズも全部持ってきていたので、専用のクッションの上にらいらを乗せて母乳を与えながら話をした。部屋は現在、男子禁制になっている。

「あたし中卒だし、仕事先でもバカにされたりして人づきあいが怖かったんだ。変な男に騙されたりしたこともあったよ。だから男の人が苦手だったの。でも羅威くんはいつもあたしの話、ちゃんと聞いてくれた。嫌なことあっても、メゲんなよって励ましてくれた。

あたし、羅威くんのことほんとに好きだった。幸せに出来なくてごめん≠チて書き置き残して羅威くんがいなくなって、ひとりになってから妊娠が分かっても、産むことしか考えられなかった」

涙をこらえながら、とつとつと過去の話をする楓を、せつない気持ちで未祥と裕生は見つめた。成人しているとはいえ、楓は自分たちと四つしか違わないのだ。別れた男の子供をひとりで産む決心をし、ちゃんとやり遂げた。その強さはどこから来るのだろう。

「羅威さんも楓さんに出会えて、幸せだったと思います。それにこんなに可愛い娘さんに会えて……」

月並みなセリフしか言えない自分が情けなく思ったが、未祥は心を込めて、自分の思いを楓に伝えた。らいらの身体に添えられた楓の手をそっと握る。楓は涙に滲んだ目を柔らかくふせて、未祥に向かって感謝の笑みを浮かべた。

授乳の終わったらいらを楓は縦抱きにし、ゲップをさせた。らいらの青灰色の髪の毛は後頭部が薄くなっていた。

「ずっと寝てるし、そのまま頭を振るからこうなっちゃうの。お座り出来る頃には生えてくるって」と楓は言った。

らいらは頭も手も足もすべて小さく、乳児を近くで見たことのない未祥と裕生にはハラハラするほど頼りなく見えた。でもらいらは全くの標準で健康らしい。とにかく、小さいというのはそれだけで愛らしい。こんな子供を病気にしようとする人がいるのが、ますます未祥にはわからなかった。

「もういいかー? 入るぞ」

ゴンゴン、とドアを叩く音と一緒に光の声が聞こえた。楓が頷いたので「いいですよー」と裕生が答えた。多聞の埋葬を済ませた三人が部屋に入ってくる。

可畏はキチンとたたまれた羅威の服を見て、グッと喉が詰まった。羅威は本当に死んでしまったのだ。あまりにも色々な事が一度に起こったので、まだ心が認めていない。それでも六人には、乗り越えなければならない現実が待っていた。

「今後の事だが──」

年長者として、光が口火を切った。出来ればこのまま幾日かでも羅威を悼む気持ちでここにいたい。でも、明日は月曜日で大学生と高校生は学校がある。光も酒造りは真冬の今の時期が最盛期なので、いつまでも仕事を放りだしている訳にいかない。

「可畏は実弟の忌引きという事で何日か休めるだろう。未祥は……可畏がいないのに一人でアパートにいるのは不安だというなら、学校は風邪をひいたと言って休めばいい。何より二人には、刀利村に来てもらわなきゃならんしな。

楓さんは特に職に就いていないから、このままここに滞在してもらってかまわんだろう。俺は村からここにはいつでも来れる。問題は志門と裕生だ。お前たちはどう考えてもこれから帰らんといかんな。移動するだけでも軽く三、四時間掛かるからな」

差し迫ったありきたりな日常≠ノ志門と裕生は不満の情を表した。

志門としては可畏と未祥が刀利村に初めて訪れる時、一緒にいたかった。まだどこかで、何が起こるか分からないという危惧がぬぐいきれないからだ。

志門の能力≠ヘ様々な場面で強力な力を発揮している。この先も可畏さんと未祥ちゃんに何かあった場合オレの力が役に立つかもしれない、という思いが強い。

裕生もここまで来たら親友の未祥の運命がどうなるのか気になった。それでも、自分たちは親に面倒を見てもらっている学生なのだ。どんなに頑張っても家に帰らなくて済むうまい理由など思い浮かばなかった。