第七十六話

振り返ると羅威が布団の中に横たわったまま、片手で頭を支えてこちらを見ている。未祥はあわてて胸元のボタンをつけた。

羅威は可畏の向こう側にいるので未祥からは見えないが、飛んでもないところを見られてしまい、顔をあわせる勇気がない。未祥は可畏の背中にしがみついた。

「ひとが横に寝てんのに、やらしー音立ててんじゃねぇよ」

羅威は目を眇めて睨みながら可畏に言った。その顔はぐっすり寝たせいか昨日より血色が良かった。

可畏は手で髪を梳いてからパジャマの襟元を整える。バツは悪かったが、弟にやりこまれるのはまっぴらごめんだ。なるべく冷静に余裕のある笑顔を作り、羅威に言い返す。

「死んだみたいに寝てたから気付かないと思ってね。でもお蔭で目が覚めただろ?」

「有難いことに上も下も目覚めたよ。場所換われよ。前と違ってガッツリ濡れてるみたいだし、今なら未祥チャンも痛い思いをしないで済むぜ」

可畏は一瞬険悪な表情をしたが、なんとか怒りを抑え込んだ。弟の顔色は昨日よりは良かったが、長く寝た割には目の下が青黒い。可畏の目からは、ケンカもセックスもやり遂げられるようには見えなかった。

「……そのセリフは冗談だと受け取っておこう。俺はオトナだからな」

「よく言うよ。立派な大人は人前でエロい事しないだろ? マジメそーな顔してやることがえげつないんだよ。──お前、俺と同じくらいスケベだな」

「双子だからな」

可畏の切り返しに、羅威は口をつぐみ、呆れ気味に天を仰いだ。そして上半身を起こし頭を振って首を鳴らす。

「あー、良く寝た。なんか汗でベタベタする。俺、風呂入ってくるわ」

羅威は立ち上がり風呂場に向かおうとした。「あの……羅威さん」と未祥が声を掛ける。羅威は振り返り、可畏の背中からちょこんとこちらを覗いている未祥と目を合わせた。

「なに? 続きをしたいからゆっくり入って来いってお願いなら、聞くつもりないぜ」

「そんなんじゃないです。お風呂に入るなら、何か食べてからの方がいいです。空腹でお風呂につかると貧血を起こすかもしれません」

羅威に対する恐怖が完全に拭えない未祥は、可畏の後ろから恐る恐る話かける。羅威はそんな未祥を感情を失ったような、無表情で見つめ返した。未祥はホテルでの羅威を思い出し怯えて縮こまった。

羅威は数秒未祥を見つめた後、フイと前を向いて歩きだした。可畏が弟に向かって口を開きかけたところで、「便所行ってくる。なんか用意しといて」と言った。そのままバスルームに通じるドアに入る。

未祥はホッと息を吐くと、可畏のほっぺたにキスしてから立ち上がった。昨日洗濯して部屋干しした服をピンチから外す。寝ている間に服は完全に乾いていた。自分の服を抱えて台所に入り、そこで大急ぎで着替えた。

昨日作ったシチューとコンソメスープを温め、フランスパンを手早く切って皿に乗せる。とりあえず牛乳とパンを持って隣の部屋に行った。そこでは可畏が洗濯された服に着替えているところだった。

ボトムスのジーンズは既に穿いており、上半身は裸だった。トイレから戻った羅威が兄の元に近づく。羅威は腕を伸ばすと可畏の胸の真ん中に指先をつけた。

「……これ、ほくろ? 兄さんこんなとこにほくろがあったんだ」

可畏は自らの胸元を見た。小さな黒い点。幼い頃につけられた、未祥への愛のための烙印――。

「なんかこれ、よく見ると象みたいだな。デカい耳があって鼻が長い。横向きの象」

「そうだな。突然出来たんだ。まさかお前もあるのか? 双子だから」

「俺にはないよ」

羅威は短く答えると、ほんのひと時だけそのほくろを見つめた。それからパンを運んできた未祥に気付くと、絨毯の上の小さいテーブルの前に移動した。未祥はテーブルに皿と牛乳を置き「ホワイトシチューとコンソメスープ、どっちがいいですか?」と訊いた。

羅威のリクエストはコンソメだった。未祥は台所へ戻り、食器の準備をする。廊下の方から足音が聞こえてきた。ガチャリとドアが開く音がして「おはよう」という光の声が響く。「おはようございまーす」と志門と裕生の声も続いた。

「おはよう、良く眠れた?」

未祥はお盆にコンソメスープと適当に切ったチーズやサラミを乗せて、みんなのいる部屋に行って声を掛けた。三人ともパジャマ姿だった。この部屋は床暖房がついているので暖かいせいか、三人は着てきたコートを脱いでいる。

「あー、未祥ごめん。朝ご飯できちゃった?」

裕生が食事を運んできた未祥を見て、焦って言った。同じ女なのに手伝わないのは気が引ける。未祥は羅威の前に食事を出しながら笑って答えた。

「みんなの分は今からだよ。ご飯は炊いたから、お味噌汁とか卵焼き作るつもり」

「そういえば朝ご飯は俺の役目だったな。やろうか?」

着替えが終わった可畏が未祥に言った。未祥は顔が引きつりそうになるのをなんとか堪えて大急ぎで断った。

「可畏は昨日運転してきて疲れてるでしょ? ご飯はあたし達が作るから座って待ってて」

裕生ちゃんは着替えてからでいいよ、と声を掛けて未祥は小走りで台所へ向かった。可畏の料理の腕は知れている。ここは食材を簡単に買い出しに行ける場所じゃないし、失敗して無駄を出すのは絶対に避けたかった。人数が多いから尚更だ。

「そういえば羅威、お前たくさん食事の材料を買っといてくれたんだな。助かったよ」

光が干してある自分の服をハンガーから取り外しながら声を掛けた。ゆっくり噛みしめるようにパンを食べていた羅威は、光に向かって顔を上げた。