第六十八話

日記を手に持った可畏を先頭に、五人は玄関へ向かう小道を歩く。

煉瓦で敷き詰められた庭の中心の道は、雪の名残か、まだらに氷が固まっている。小道の左右の枯れた芝生の上にも、所々白い雪の塊が残っていた。

広い庭に植えられた背の低い木は、葉っぱが一枚もなく何の木か分からなかったが、暖かくなり青葉の季節になれば、きっと美しい庭だろうな、と未祥は思った。

歩いて行くうちに、道が緩やかな上り坂になったのが分かった。玄関前は中心がなだらかなスロープになっており、両脇に階段がある。これなら車椅子やベビーカーも出入りしやすいだろう。

たどり着いた玄関のドアも両開きが出来るようになっており、ゆったりした広さがあった。未祥は本物のペンションみたい、とあらためて思った。

可畏がドアの左脇にインターフォンを見つけ、人差し指で押した。未祥の耳に中でベルが鳴る音が微かに聞こえる。しばしの間があってから、通話口から声が響いた。

「開いてるよ。入って」

羅威の声が聞こえてきた。可畏は一つ息を吸い込むと、ノブに手を掛けドアを開けた。ドアは確かに鍵がかかっておらず、あっさりと開くことが出来た。可畏が一歩前に出ると、暗かった玄関の中に明かりが点いた。玄関の照明はセンサーで感知するようになっているらしい。

未祥は可畏に続いて中に入る。玄関の中は広々としていた。三和土も大きくとってあるし、あがりかまちは低く抑えられていてのぼり降りがしやすそうだ。玄関≠ニいうよりエントランス≠ニ呼んだ方がふさわしいかもしれない。

大きな靴箱と、上がってすぐの場所にカウンターらしき机が設置されている。やっぱり……と未祥は思う。この建物は個人の家として建てられたものではなく、宿泊施設だったんじゃないかな? 

カウンターの前は何も置かれておらず、だだっ広く感じた。板張りの床がむき出しになっていて寒々として見える。でもここにソファでも置けば、立派なフロントと待合い室と呼ぶことも出来そうだ。

未祥は小さなホテル然としたこの建物が、意外にも掃除が行き届いているのを見て取った。隅の方に埃が溜まっているようなこともない。どうやら羅威はちゃんと掃除することが出来る人物らしい。

でも部屋の中は分からないから油断出来ないな……と思っていると、足音が聞こえてきた。部屋のドアの向こうからくぐもった音が近づいてくる。ハッと後ろで軽く息をのむ音が聞こえた。未祥と裕生が志門を見る。

「……ひとりしかいない」と志門が言った。

未祥は一瞬、意味が分からなくて不思議そうに志門を見返した。「何?」と裕生が言うのと、カウンターの奥の部屋のドアが開くのが同時だった。

「いらっしゃい。またずいぶん大勢で来たんだね」

言葉とは裏腹に、さして意外でもなさそうな様子で羅威が言った。開けたドアが反動で戻ろうとするのを抑える形でドアの前に立ち、相変わらず皮肉気な笑顔で一同を見ている。

開け放たれたドアの奥から、部屋の暖気が玄関まで届いた。部屋の中ではちゃんと暖房がきいているようだ。ギッ、と歯を噛み合わせる音がした。未祥が可畏を見上げると、厳しい表情で弟を睨んでいる。羅威の笑顔はスッとなくなり、警戒するように身構えた。

「動くな」

羅威は鬼に向かって、鋭く命令を出した。未祥は息を止めて成り行きを見守る。まず、光の体が動いた。立っていた玄関の三和土から足が離れ、体全体が宙に浮く。羅威はその様子を目をむいてみた後、次の瞬間にはドアの前からいなくなった。

未祥の目には、羅威の姿をとらえることは出来なくなった。広めのエントランスホールの中を、光が宙に浮いたままフワリ、フワリと左右に動く。光は素早く動くものを捕まえようとするように、手で空間をかいている。

シュッ、という音が時々耳に届くものの、音だけで羅威の姿は見えない。天夜叉は速疾鬼をなかなか捕まえられなかった。可畏が未祥に日記を渡した後、靴を脱いで玄関を上がる。鬼術の勘を使い、弟の行く手を阻もうと手を広げた。

可畏が右に軽くステップを踏み手を伸ばすと、バシン、とその手に何かが当たった。羅威の着ていた黒地のロングTシャツの色が、一瞬だけ未祥の目に入った。でも羅威は兄の手を振り払い、また風のように動いた。

そのまま数分間、光と可畏があちこちに手を伸ばす姿しか見えなかった。しかし、さすがの速疾鬼も、天夜叉と鬼術使いに挟まれては分が悪かったらしい。可畏と光が向かい合わせで接近した、と思った途端、光の腕が羅威を後ろから羽交い絞めにしたのが見えた。

光の太い腕を自分の首元にガッシリ回されてしまい、羅威は悔しそうに口元を歪めた。可畏は無言で羅威の目の前に来ると、右手を頭上高く振り上げる。

「止まれ!」

羅威は多聞≠フ権限で鬼を止めようと叫んだ。でも可畏の手は止まることなく、弟の左頬を平手打ちにした。パンッという鋭い音が未祥の耳を駆け抜ける。未祥は急いで玄関のあがりかまちを跨いだ。志門と裕生も後に続く。

三人の目に、呆然と可畏を見返す羅威が見えた。その頬が見る見るうちに赤くなってくる。羅威を後ろから抱きとめていた光が、フッとため息をついた。

「すまんな、羅威。二人がかりでこんなことするのは、卑怯だと分かってる。暴力が良くないってこともな。でもなぁ、お前が未祥ちゃんにしたことはいただけない。あれはやり過ぎだ。俺の中では、女子供に暴力を振るう男は最低ランクの格付けなんだ。

お前にはお前の言い分があるだろう。でもどんな理由があれ、可畏にはお前をぶん殴る資格があると俺は思う。誰が何と言おうとな」

耳元で諭すように語る光の声を聴きながら、羅威は兄の目を真っ直ぐ見た。下唇をギュッと噛みしめた顔は、父親に叱られた子供の様に見えた。