第六十七話

車は両脇に雪の残る道を、ナビの到着点を目指して走っていた。

山道はアスファルトで整備され、点在する各別荘に繋がっている。ナビが示す羅威の家は、街からさほど離れていないものの、家そのものは鬱蒼と茂る木々の奥に隠され見えなかった。

枯葉が積もる細い私道は目指す場所に続いているようだが、外灯のない闇は車のヘッドライトの灯りすら食い尽くそうと迫ってくる感じがする。

泣きじゃくる未祥を抱きしめながら、可畏は暗い窓の外を眺めた。景色が流れていくのは、ぼんやりとしか見えない。何かに乗り上げ、車が軽くバウンドした。

「クソッ」と光が悪態をつく。こんな暗い道を行き来するのは、大の男でも怖さを感じるだろう。でも羅威は高校生の時、一人でこの道を通学したのだ。

羅威との対面の時間が近づくにつれ、可畏は胸が縮むような緊張を感じた。弟が未祥にしたことは許せない。でも──今まで羅威が抱えてきた現実は、あまりに重いものだ。

「見えてきました」

志門が助手席から声を上げる。日記の途中、祥那が生まれ変わるところで、未祥は泣き崩れてしまった。辛そうに泣いている未祥を放っておけず、可畏は光に運転を変わってもらい、後部座席に移動した。

日記のその後は、可畏と未祥の成長を時々綴る程度だった。ただ、覚羅聡が亡くなる二日前に書かれた日記には、興味深いことが記されていた。

車のライトは突然開けた場所を映し出した。最初に見えたのはコンクリート敷きの更地だった。どうやら駐車スペースになっているらしい。その奥には上部が矢印型に尖った形の、木の柵が左右に広がっていて、空いている真ん中が出入り口だった。奥の方に、三角屋根の英国式の家屋がおぼろげに見える。

光が車を空きスペースに乗り入れた。車は他に一台も停まっていないので、光は適当に突っ込む形で駐車した。それでもコンクリートの敷地にはかなり余裕がある。あと十台くらいは停められそうなほど広かった。

ライトに照らされた別荘の庭は冬枯れの芝生と、ところどころに低木の木が植えてあった。真ん中の小道が玄関へと続いている。玄関には、オレンジ色の灯りがともされ、一階の部屋の電気の光が、カーテンの隙間から細くもれていた。

可畏は一度強く未祥を抱きしめ、そっと離すと顔を覗き込んだ。目と鼻を真っ赤にした未祥が、可畏を見返した。

「……行けそうか?」と可畏は訊いた。未祥は、キュッと下唇を噛むと、コクリと頷いた。羅威に会うのは、色々な意味で怖かった。殴られた恐怖は拭いきれない。

でもあの冷淡な瞳の中に、深い悲しみが隠されていたと思うと喉が詰まるような切なさを感じる。羅威はこの人通りのない林の奥の別荘で、今もあの異常な心を持つ母親と共にいるのだ。

未祥は目を閉じると深く息を吸い込んだ。それから可畏を真っ直ぐ見る。

「ごめんね、あたしばっかり……。可畏の方が怖いよね。甘えてばかりでごめんなさい」

未祥は自分の思いばかりに捕らわれていたのを申し訳なく思って言った。良く考えれば、可畏は十七年ぶりに母親に会うのだ。今現在の羅威の事も、ほとんど知らない状況だ。いくら肉親とは言え、いや、肉親だからこそ、対面するのは緊張するだろう。

可畏は鼻の頭が赤くなった未祥を見て、柔らかく笑い返した。未祥にならいくら甘えられてもいい。逆に未祥から頼られなかったら、自分は立っていられないと思った。

未祥がそばにいて、守るべき存在でいてくれるからこそ、己の存在意義を見出すことが出来る気がする。未祥に甘えてもらえるから、しっかりしなければと思えるのだ。

「なんなら俺が一足先に羅威に会って、一発ぶん殴ってこようか? 俺は準備オーケーだ」

運転席から振り返って光が言うと、可畏は首を横に振った。「一緒に行くよ」とジェスチャー付きで答える。裕生が座席の後ろにまとめてあるみんなの上着を引っ張り出して配った。

その間に可畏も準備≠する。五人は車の外へ出た。涙で濡れた未祥の頬に寒さがへばりついてくる。山の方だけあって、空気は未祥の暮らす土地よりずっと冷たく感じた。吐き出す白い息が夜風に舞い上げられる。今夜も寒くなりそうだった。

可畏の大きな手が未祥の手を包む。未祥は強く握り返して、前方の建物に目をやった。その家はかなり大きかった。暗すぎてシルエットでしか判別出来ないが、羅威と母親だけで住むには大きすぎる印象だ。

玄関灯が点けられた出入り口を中心に、両脇に数部屋が配置されているのが分かる。格子付きの窓と三角屋根でデザインされた、木製のカントリーハウス風の建物は、個人の家というより可愛らしいペンションといった風情だった。

「なんかペンションみたい」

裕生がそう感想を述べたので、未祥もうん、と頷いた。「部屋がいっぱいありそうだね。掃除が大変そう」と裕生が続ける。志門も同じように建物を見ながら、ため息交じりに言った。

「あの羅威って人、掃除好きそうに見えたか?」
「全然」

裕生が即答したので、未祥と志門は同意の相槌を打ち、肩を落とした。建物の外見は綺麗だが、中はホコリとゴミだらけかもしれない。

未祥は新たな勇気を奮い起こさなければならなかった。羅威に会う勇気と、汚い部屋を見る勇気。二つの勇気でお腹に力を込めてから、未祥は一歩踏み出した。