第六十一話

「──正気じゃない人と一緒にいる人は、ものすごいストレスの中にいるでしょうね。司法的に罪に問うのは難しいかもしれないけど、母親が殺すつもりはなくても子供が死んでしまったら、本質的なとこでは殺人だと思う。

そうやって死んでしまった子の人生は、なんだったのかと思ってしまいます。辛くて苦しくて、恐ろしいだけの、報われない人生です」

苦い志門の言葉に、また車の中に静寂が宿った。小さくため息を吐いてから口を開いたのは未祥だった。

「なんで……そんな風になっちゃうのかな。子供を病気にしてまで注目されたいと思ってしまうのは、どうしてなんだろ」

「やっぱアレかな。自己顕示欲?」

裕生は顎に手を当てて未祥を見た。

「誰にだって心のどこかに、みんなから見られたいって意識があると思うんだ。あたしは人付き合いが下手だし、みんなで同じ話題を共有し合って大騒ぎするなんてハッキリ言ってうんざりだけど、でも自分が作ったものならみんなに見て欲しいと思う。ホームページを開設して作品を展示したいと思うのも、注目されたい思いがあるからだもの。

誰かに褒められたい、すごいねって言われたいという気持ちが、あたしの中にも確かにある。その顕示欲に歯止めが利かなくなると、そういう病気になっちゃうんじゃないかな。なんかミュンヒハウゼン症候群が他人事とは思えない気がしてきた」

言うと裕生は寒気がするように自分を抱きしめて両腕を手でこすった。光は「うぅん」と一つ唸ると、狭い助手席で長い脚を組む。

「裕生の意見にはうなずける部分もある。でも俺はなぁ、そこまで無理に自分に置き換えんでもいいと思うんだ。ミュンヒだか代理だか何だか知らんが、そういうことする人間は、薄っぺらな気がするんだ。裕生が持ってる自己顕示欲と、羅威の母ちゃんが持ってる自己顕示欲は、全くベツモノだと思う。

上手く言えんけど、自分勝手に他人を振り回せるヤツっつうのは感情そのものが薄い感じがする。感情がない訳じゃあないんだろうが、アツさが感じられない。そのせいで他人に対する思いやりが、ないに等しいくらい薄い。

お偉いさんはワケわからん奴が現れると、なんとか理解しようと色んな病名をくっつけたがるもんだと分かってるけど、俺に言わせりゃそいつら全員、自己中のアホンダラだ。そんな大人になりきれない病人と、裕生は同じにならない。だから心配せんでもいい」

光の素朴な意見には、裕生に対する暖かさがこもっていた。まだ出会って一日くらいしか経ってないのに、ちゃんと自分を認めてくれている光の存在が、裕生にとってとても有難かった。「ありがとうございます」と裕生はお礼を言った。

アホンダラか……、と可畏は思う。光がそう言ってくれたお蔭で、自分が抱えてきた母への中途半端な思慕が少し薄れたような気がした。

俺は今まで母から嫌われているのだと思って生きてきた。幼い頃から母の近くに寄っても、興味を示してもらえなかった。その頃は自分が悪い子だから愛されないのだと思って、頑張っていい子≠演じていた部分もある。

母のお気に入りの弟に優しくすれば、母は自分にも同じものを返してくれるだろうと思って。それはいつも無駄な努力に終わったけれど、その母の状態が病気であり、自分勝手なアホンダラのやることだと思えば、少しは納得できるというものだ。

母は可畏が嫌いだったのではない。可畏が利用価値のない存在≠セっただけだ。それはそれで心が痛むけれど、母の中に「可畏が嫌い」という感情があったのではなかったと思えることは救いだった。

俺はそれでいい。でも父は……。そしてあの不憫な弟は──

「志門くん」

可畏は前方に注意しながらナビの画面を見て、声をかけた。

「次のサービスエリアで一度休憩しようと思う。それまでもう少し読み進めてもらっていいかな」

「分かりました」

志門はノートに目を落とし、自分がさっき読み終わった文章を探した。そこは丁度日付が変わる部分だった。志門は日付から読んだ。



<八月二十日>

【依子が特殊な精神の病に侵されていると分かったおれは、妻と話し合うことを決めた。羅威は三日後に退院したので、依子も一緒に帰ってきた。押入れの中にある段ボールの中身が空になっているのを見て、依子は力が抜けたような暗い表情になった。子供たちが寝た後、おれは依子と向かい合った。

「自分のしていることが分かっているのか?」と訊いたら、「ごめんなさい」と依子は言った。そのままボロボロ涙を流し始めた。おれは依子を抱きしめ、もう二度と羅威に変なことをしないでくれ、と言った。依子は泣きながら頷き、もうしないと約束してくれた。

その約束は、半月後に裏切られた。羅威がまた痙攣を起こしたのだ。おれは依子を信じたかった。でも羅威が倒れた途端、彼女のずっとふさぎがちだった顔が生き生きし始めた。

依子が羅威を病院に連れて行った後、おれは家の中を調べた。まず押入れの段ボールを見てみたが、そこには壊れた置時計や穴の開いた鍋が無造作に入っているだけだった。今度は羅威が本当に痙攣を起こしたのであって、依子のせいではなかったのか……とおれは思った。依子を疑った事を申し訳なく感じた。

でもそこに電話がかかってきた。隣町の個人病院からで、十日前に診察したお子さんの診療費と薬代が支払われていないという。その日は土曜日の午前中で仕事は休みだったので、可畏を母に預け、おれは病院に直行した。病院でお金を払い、羅威が何で病院に来たのか聞いてみた。

以前からてんかんの治療で通われてますが……、と言われ、ゾッとした。羅威がてんかんのはずがない。以前痙攣を起こした時、大きな病院できちんと脳波の検査もしていたからだ。医者は痙攣の原因は分からないが脳波に異常はないので、子供によく起こる熱性けいれんだろうと言ったのだ。

おれはその足で羅威と依子が向かった病院に行った。案の定羅威は入院することになっていて、病室を教えてもらえた。病室には点滴につながった羅威がベッドに寝ていて、依子がそばの椅子に座っていた。羅威の近くに寄り添う依子は、気品が感じられるくらい落ち着いていた。

まるでその場所こそが、自分がいるべき最良の王座だとでもいうように──。