第五十一話

裕生は引き出しから本を取り出した。背表紙には文字が記載されてなかったが、表紙にも何も書かれていなかった。本ではなく、ハードカバーで作られたノートのようだ。

「これかも!」

裕生が声を上げると、他の三人が裕生の元に集まった。裕生はノートを開くことなく、可畏に渡した。可畏はゴクリと喉を鳴らしてノートを受け取った。鏡台を探さなかったのは迂闊だった。鏡台は女が使うもの、という先入観があって引き出しを開けてみようとも思わなかったのだ。

高校生たちが見守る中、可畏は表紙をめくった。一ページ目は白紙だった。次のページも白い。可畏の指は次々とページをめくっていったが、そのノートには文字が書かれた形跡はなかった。

「あー、違ったみたい。残念」

裕生が言うと、可畏と未祥が頷いた。「やっぱり押入れかな」と未祥がつぶやく。でも志門だけが、怪訝そうにみんなの顔を眺めた。

「あの……これ日記じゃないんですか?」

志門が可畏に向かって訊く。可畏はきょとんとした顔で志門を見た。

「いやでも、白紙だし……」

戸惑い気味に可畏が答えると、志門は一度キュッと口を閉じた。そしてノートを指さすと、思い切ったように口を開く。

「オレにはそこに、ぎっしり文字が書かれているのが見えるんですけど」






車に寄りかかり欠伸をしながら光はみんなを待っていた。暇な時間を利用して、婚約者の茉菜に「すぐには戻れないかもしれん」とメールを打ったら「おっけー、頑張って」と返事がきた。それが終わると、やることがなくなった。

光は携帯ゲームの類はやらないし、SNSなどでいつも誰かと繋がっていたいタイプでもない。煙草も吸わないので、手持無沙汰な時は欠伸くらいしかすることがない。煙草は酒の出来具合を調べる時、舌の感覚の邪魔になる為、吸わないようにしている。

周りは一戸建ての家々が建ち並ぶ住宅街の風景しかない。要は面白いものなど目に入らないという事だ。車の中で寝るか、と思って動こうとした時、バタンと玄関のドアが閉まる音がした。出てきたのは志門と裕生だった。

「おう、どうした。まさかもう見つかったのか?」

光は眠そうな声で冗談交じりに訊いた。でも意外にも、二人の高校生は首を縦に振った。

「あたしが見つけて、志門が見つけたんです」

光は眠そうな目のまま、裕生の顔を見つめた。そして何度か瞬きすると「すまん、俺には意味が分からん」と言った。

「裕生が厚いノートを見つけたんですけど、オレ以外の人には白紙に見えたんだそうです。でもオレには字が書きこまれているのが見えました。可畏さんは多分、ノートに特殊な結界が張ってあるのかもしれないって言ってます」

志門が説明すると、なるほど、と光が頷く。

「志門には結界が効かないのか。お前は凄いな。なんというか……便利だな」

それは褒め言葉なのかな、と志門は思ったが光は底意地が悪い性格ではない──とも思うので、いい方に取ることにした。

「可畏と未祥はどうした?」

「未祥が家の中を見て回りたいというので、可畏さんは中で待ってます」

裕生が光に答えるとバタンと音がして、家から未祥が出てきた。手には黒い厚みのあるノートと脱いだ靴下を持っている。家の方からは雨戸のシャッターを閉める音が聞こえてきた。

「お待たせしました。これが聡おじさんの日記みたいです」

未祥は光にノートを渡した。光がノートをパラパラとめくっていくのを、三人が眺める。光は「俺にも字なんて見えんぞ。志門は本当に見えるのか?」と訊いた。志門が黙ってうなずくのを見て、光は眉を上げて肩をすくめた。やはり光にもノートに書かれている文字が見えないことが分かった。

ガチャガチャと鍵を回す音がした後、可畏が車の前に戻ってきた。四年ぶりに人が入った覚羅家は、また光が閉ざされ、扉も閉められてしまった。

「お疲れさん。早く見つかって良かったな」

光が手にした日記を軽く振りながら可畏に言った。可畏は頷き「見えたか?」と訊いた。

「いやまったく。どうやらこれにも結界が張ってあるらしいな」

「ああ。志門くんがいなかったら日記かどうか分からなかったよ。きっと今頃押し入れの中を引っ掻き回していたと思う。本当に助かった」

可畏が笑いかけると志門は恐縮して頭を掻いた。女子二人は車の後部ドアを開けて、荷物の中から汚れた靴下の替えを探している。可畏は運転席のドアを開けると、車用の携帯充電器からスマートフォンを引っこ抜いた。

「羅威に電話をかけてみる。悪いがもう少し待っててくれ」

言い残して、可畏は光と志門から少し離れた場所に移動した。スマホの画面で羅威から伝えられた番号をタップする。教えられたのは携帯の番号ではなかった。市外局番から始まる、固定電話の番号だ。

携帯を耳に当てると、ちゃんと呼び出し音が鳴っているのが聞こえた。相手はなかなか出なかった。プルルル……という音が十五回繰り返された後、やっと受話器を上げる気配がした。

「はい」

電話の声は男だったが、名字は名乗らなかった。でも可畏にはそれが弟のものだとすぐに分かった。

「お前が未祥にしたことは許さない」

前口上は何もなく、いきなり可畏はそれだけ言った。相手が一瞬、息を飲むのが聞こえた。その後不満げな声が続く。

「──昨日からずいぶん失礼な態度だよな。挨拶をするってこと、親に教わらなかったワケ?」

「礼を失しているのはお前の方だ。俺に礼儀正しく接してもらいたいなら、女性に暴力を振るうのをやめるんだな」

羅威はフン、と鼻を鳴らした。

「説教なんか聞きたくないね。それに比丘尼はお綺麗なままだったんだから良かったろ? お陰でこっちは中途半端だったけど」