第四十八話

「このオニイサンは大金持ちなんだ。何しろ比丘尼さまがついてるからな。遠慮するな、普段買えない高いものを選んでいいぞ」

光は可畏を指差して勝手な事を言っている。志門は昨日も服を買ってもらったし、さすがに躊躇いを感じていた。そんな志門を尻目に、光は六桁近くする濃茶の革ジャンを可畏のカードで支払っている。

新しく服を買ってもらうことにはかなりの遠慮を感じた志門だったが、その謙虚な態度は無視され、自分以外の人間に寄ってたかって似合う服を選別されることになった。志門の服選びに何よりパワーがあったのが、メンズショップの店長だった。

三十そこそこのオネエ口調の店長は、モデル張りの三人の男が来店して狂喜した後、店内と倉庫を独楽鼠(こまねずみ)のように走り回った。志門が恐縮してなかなか服を選べないでいると、あれもこれもと持ってきては体に合わせ、その上触りまくる。

殆どヤケクソで、店長の組み合わせた服をそのまま着た。救いだったのはオネエ店長のセンスが良く、選んでもらったトレーナーは志門の雰囲気にピッタリだったことだ。最終的にはブルゾンや靴まで買ってもらってしまった。退店する時、オネエ店長に尻を撫でられるというオマケ付きで、やっと男性陣の買い物も終了した。

「あの……ありがとうございます。たくさん買ってもらって。お金、ホントに大丈夫なんですか?」

今更かと思ったが、志門は一応可畏に確認した。可畏が鷹揚に頷くと、光が志門の肩に腕を回して言い始める。

「金ってもんは持ってる奴が使った方がいいんだ。そうでないと経済が動かんだろう? 俺は可畏に太っ腹な多聞≠ノなってもらうつもりでいるからな」

「あ、そうか。可畏さんが戟を持てば、多聞は可畏さんになるんだ」

鬼を使役する多聞天にちなんで、戟を持つものを多聞≠ニ呼ぶんだ、と昨日の記憶を掘り起こしながら志門は納得した。それでも多聞≠ニいうとなんとなく、猿男の顔が浮かんでしまう。

「でもまぁ、この先どうなるか分からんがな……」

光は声を抑え気味に囁いた。志門は問いかける様な視線を、自分の顔のすぐ横にある光に向けた。可畏は前の方を歩いていて、婦人服売り場で待っている未祥と裕生に手を挙げている。

「今まで比丘尼がこの世界にいられたのは、あの多聞≠ェ卑怯な手を使った事で天に帰れなくなったからだ。でも今度可畏が多聞になると、相思相愛の夫婦ということになる。それで二人が天に帰れればいいが、そう上手く行くかな、と俺は考えてる」

「……どういうことですか?」

「比丘尼はこの世に長く居すぎた。それが本人の希望じゃなかったにしても、あまりに長過ぎたように思う。本来は一度しか使えない恵み≠フ力も、多聞の強欲によって何度も使わされた。天にとって比丘尼は迷惑な存在とも云えると思うんだ。

それに鬼だ。この数百年の間に、羅刹と夜叉、双子の鬼の子孫は増えていった訳だ。今現在、鬼の血を引く村人は相当な数に上るだろう。天に導かれる人物は、お祥と夫、双子の鬼の四人だったはずだ。それが今じゃあ、何人になるか分からない。となると──」

言葉を途切らせた光を、緊張した面持ちで志門は見た。可畏はもう少しで未祥と裕生に合流するところだった。

「天は比丘尼も、それに関する者たちも受け入れないかもしれない。長期繰り越しで契約無効ってヤツかな。でも俺たちは特殊な能力が有り過ぎて、人間ともいえない存在だ。天にも昇れず、人間としても半端。そういう奴らがいるべき場所があると思うか?」

「……」

志門には、答える事が出来なかった。神にはなれず、人とも云えず……。未祥ちゃんも可畏さんも、そして光さんも──現代には似合わないお伽噺の住人だ。彼らが呪縛から解かれ自由になる時、一体何が起こるのだろう。恐ろしいことだが、ある答えは──

「霧消」

短く、光がつぶやいた。衝撃で息を飲んだ志門の肩から、光が腕をほどく。可畏と女子二人が近づいてくる光と志門を見ている。「待ったか? 悪い」と光が言った。志門はこわばった顔の筋肉をほぐすように無理に笑顔を作った。

「大丈夫です。今終わったとこ」

裕生が大きな袋を肩に担ぎ直しながら言った。未祥も同様に大判の紙袋を手に持っている。二人共さっきと違う服を着ていたので、買ったものをそのまま着たのが分かった。袋には今まで着ていた服が入っているのだろう。着替えを済ませた女子組は、普段の日と全く印象が違った。

未祥はクリーム色のふわふわセーターに淡いピンクのミニスカートを組み合わせた服に替えていた。普段は編んである髪をサラリとほどいて、すんなりとした脚を薄茶色のブーツにおさめた未祥は、通りすがりの男性が振り返るほど愛らしかった。

グレイのニット地のチュニックに黒のショートパンツを穿いた裕生も、シックな組み合わせが女性らしさを引き立てた。オンナは化けるよな、と志門は思う。二人とも学校の制服を着ている時より断然大人びて、その上可愛く見えた。

「三人ともカッコイイ! 光さん、そのジャケット素敵ですね」

裕生が言うと光は笑顔で歯を光らせた。腰に手を当て、その場でクルリと回ってみせる。裕生に向かって「どうだ、俺の二号になるか?」などと飛んでもない提案をしている。ついさっきまでの重々しい雰囲気など、微塵も感じさせなかった。

「志門くんもそのアウター良い色だね。似合ってる」

ニコニコ笑いながら未祥が志門に言った。褒められて照れたように志門は笑ったが、未祥の手が可畏と指先だけで軽く繋がれているのは見逃さなかった。そのさりげない触れ合いが、ガッチリ手を繋ぎ合っているよりもずっと二人の親密さを表わしているような気がして、志門の心に暗さの混じる風が吹いた。

でも淡い恋心を抱いていた未祥に本当に好きな男がいたと知る事よりもずっと、さっき光から聞いた話の方が重くつらい気分を志門に投げかける。もし二人がこの世界にも、別の世界にも存在が許されず消えてしまうとしたら──その喪失感は失恋の比ではない。

「買い物は楽しかったか?」

可畏が未祥を見下ろしながら訊いた。お店で服を選ぶという殆ど初めての経験をした未祥は、気持ちの高ぶりから頬をピンクに染めて可畏に返事をした。

「うん、すごーく楽しかったよ。ちょっとしつこい店員さんがいたけど、裕生ちゃんが撃退してくれたから助かっちゃった。でも直接触って選べるのはホントにいいね。サイズも失敗しないし」

可畏は自分を見上げながら一生懸命報告する未祥を、微笑みながら見ている。その視線は、今まで未祥が感じてきた、肉親の愛情≠示すものではなかった。未祥は可畏の瞳に宿る自分への深い愛をひしひし感じる事が出来るのが嬉しくて、更にその頬を赤く染めた。

「良かったな」と可畏は応え、未祥の髪を軽く撫でた。そしてその他の面々を見渡すと「出発しても大丈夫か?」と訊いた。光が飲み物や食べ物を買っておきたいというので、食品売り場まで行って買い物してから目的地に向けて出発した。

時刻は既に、昼の十二時を回っていた。