第四十二話

「志門ってば最初、オレはホテルに入らないって言ってたんですよ。車で寝るとかごちゃごちゃ言うから風邪をひくよって説得して、無理やり連れて来たんです。光さんは志門に、あたしの腰に手を回してカップルらしくしろって言ったのに、絶対やってくれないんです。失礼だと思いませんか?」

ちょっと不機嫌な様子で裕生が言うと、志門は慌てて訂正した。

「オレは別にお前がイヤとかじゃないくてさ……だって、こんなとこ入ったことねぇし、その……」

真っ赤になっている志門を見て、可畏は思わず笑ってしまった。志門の気持ちは分かる気がした。誰だって初めてラブホテルに入る時は緊張するだろう。

「こんな事態になってしまって悪かったな。申し訳ないけど、今夜一晩三人で過ごしてくれ。何か欲しいものがあったら光に頼んで買ってきてもらうといい。お金は出すから心配しないで」

可畏が言うと裕生が手を上げて注意を引いた。

「もし良かったらなんですけど、可畏さんと未祥が二人で、隣の部屋に行きませんか? 未祥はこの部屋にいたくないと思うんです。もうすぐ日が変わるでしょう? せっかくの誕生日に嫌な奴と一緒にいた部屋で目覚めるなんて可哀想です」

裕生の意見に可畏は目が覚める思いがした。さすが女の子は細かいところに気が回る。確かに縛られて犯された場所になどいつまでもいたくないだろう。

「それに隣の部屋、キラキラ乙女ルームっていうんですよ。さっき見たらベッドもピンクでフリルがいっぱいで可愛かった。この……SMルームよりいいと思います」

裕生に言われ、可畏はここがSMルームだったのだと分かった。だから未祥は紐で縛られていたのだ。羅威がどこまで考えていたのか分からないが、未祥にとっては酷い思い出だろう。可畏は裕生の言う通り未祥を隣の部屋に移すことにした。

可畏は自分の上着に未祥をくるむと、腕に抱きあげた。志門は軽々未祥を抱く可畏を見て、オレに出来るだろうか……と考えた。未祥の脱がされた服はベッドの上にまとめて乗せてあった。おそらく可畏がやったのだろうが、適当に積んであるだけなのでレースの下着やブラやショーツが丸見えになっている。

志門がそれを見てまた真っ赤になったので、裕生が手早く未祥のコートに服をくるんだ。そしてマックの袋を一緒に持つと、色々な思いでいっぱいになっているであろう志門の横を通り過ぎ、可畏を追って隣の部屋に向かった。

ほどなく、裕生が部屋に戻ってきた。志門はまださっきと同じ場所で固まっている。ラブホテルで裕生と二人になってしまい、気まずくて仕方なかった。光さん早く戻って来てくれ、と思っていると裕生から「残念だったね」と声を掛けられた。志門は驚いて顔を上げた。「何が?」と聞き返す。

裕生は大型テレビの横の椅子に腰かけた。裕生は知る由もなかったが、ついさっき羅威が座っていた椅子だった。

「未祥のこと。あの二人、確実に両想いみたいだもん」

「……そうだな」

短く、志門は答えた。未祥と可畏は本当に想い合っている。二人が一緒にいるところをずっと見ていたわけではないが、今までの話や様子から愛し合っているのは明白だった。志門は未祥のはにかんだ笑顔を思いだし、少しだけ胸が痛んだ。

でもオレは分かっていたのかもしれない、と志門は思う。未祥ちゃんの心に住む大切な人の面影を、オレはいつもどこかで感じ取っていた気がする。

「……上手くいくといいな」と志門は言った。

裕生は一時じっと志門を見つめた。そして目を自分の足元に向けると、「うん……」とだけつぶやいた。

この先あの二人がきちんと結ばれて、本当の恋人同士になって欲しいと思う。でもそうしたら二人は……そして鬼たちはどうなるのだろうか。天に認められて、未祥も可畏も空へ行ってしまうのだろうか──。

ドンドン、とドアを叩く音がした。光には出かける前に、可畏と未祥が別の部屋に行った方がいいと裕生が提案していたので、こっちの部屋に来たのかもしれない。志門が覗き穴から外を見ると、確かに光が立っていた。志門はドアを開けた。

「どうだ、頑張ってるか? 若者たち」

部屋へ入るなり光は言った。一体何をどう頑張るんだ、と志門は思った。光はズカズカ進んでいくと、裕生の座る椅子の隣にあるテーブルに買ってきたものを乗せた。コンビニの袋に、大量の飲料缶と食べ物が入っている。

「今夜の講義は正しい酒の飲み方≠セ。ノートは取るな。身体で覚えろ」

言いながら光はテーブルに飲料缶を並べ出す。ビールやチュウハイが綺麗に並べられていく。

「先生、私はSMルームにおける正しい手錠のかけ方≠煌wびたいと思ってます。それとお風呂場に校外学習もしたいでーす」

裕生が手を挙げて大真面目な顔で言う。志門はお前本気か?≠ニいう顔で裕生を見た。

「ほう、それは勉強熱心でよろしい。でもまずはアルコールだ。煙草より酒、セックスより酒! 覚夜教授の流儀はまず酒から仕込む。アルコールを知らずして大人になったとは言わせんからな。では最初はこれからだ」

光は二人にチュウハイらしき缶を配った。志門はどうしたものかと思案したが、ほとんどヤケクソでプルトップを引いた。裕生はサッサと開けて口をつけている。

「いいか、日本酒を作るにはまず酒米(さかまい)という米を育ててだな……」

光の講義が始まった。志門は床に座り込んで耳を傾けた。隣の部屋では何をしているんだろう……と、つい考えてしまうのを振り払うために。三人はひたすら飲んで、食べて、話した。楽しい時間だった。後から気がついたが、飲んでいたのは、光の以外はノンアルコールだった。









乙女ルームのフリルがふんだんについた掛け布団の中で、未祥は可畏の腕に抱かれていた。

未祥の意識は、昇っては落ちていくのを繰り返している。時刻が零時を迎える瞬間、未祥の右耳が光りだした。可畏の結界の効力がなくなり、十六歳になった未祥の身体に宝珠の完成が始まる。

右耳に張り付いた如意宝珠から溢れる光は、触手を伸ばすように未祥の躰を覆っていった。可畏の腕の中で未祥は淡く輝き、やがて緩やかにその光がなくなった。未祥は閉じていた目を開けた。右耳はぼんやりと暖かかったが、それ以外は何も変わった感じはしなかった。手首もまだヒリヒリするし、殴られたり暴れたりしたせいか、躰のあちこちが痛い。

未祥はゆっくり目を上げると、可畏の顔を見た。可畏は微笑んで、「十六歳の誕生日おめでとう」と言った。

未祥は泣き笑いの顔になった。目の前にいる人は、自分と結ばれる事のない人だ。それでも可畏が好きだった。どうすることも出来ないほど。

生まれた時からそばにある顔。可畏の匂い。可畏の声。
愛しくて、愛しくて、たまらない。

未祥はこらえきれず、涙を流した。ごめんね、と小さく呟く。可畏は首を横に振り、「愛してるよ」と伝える。未祥の目からまた新たな涙が溢れた。可畏の唇が未祥の涙を受け止める。そして未祥の小さな顔を両手で包むと、唇を重ね合わせた。

凍てつく冬の空の下で、愛し合う二人の、繋がることのない夜が始まった。