第四十一話

抱きしめた細い身体は、長く泣いていたせいで時々ヒクッと声を上げて震えた。可畏は休むことなく、未祥の背中を撫で続けた。可畏の腕に頭を預けた未祥は、軽い寝息を立てていた。ブルルル、と携帯のバイブが鳴る音がする。可畏は未祥にかけた上着から、自分の携帯を取り出し通話ボタンを押した。

「俺だ」

光の声が耳元で響く。可畏は光に連絡していなかった事を思い出した。あれからどれくらい経っているのだろう。

「悪い。電話するのを忘れてた。ちょっと手が離せない状態で……」

可畏は光に今の状況を話した。聞き終えた後、光は低く呻くと「羅威の奴そんなことを……」と苦々しくつぶやいた。可畏は未祥を起こさないように囁き声で光に話した。

「時間が掛かってしまって悪かったな。今まで何してた?」

「ウロウロ歩いて坊や達に服を買ってやったよ。制服じゃあまりにも目立つからな。デパートの閉店時間ギリギリで間に合った。えらく金が掛かったぞ。その後マックで適当に食った。今は駐車場に戻ってるよ。車のキーがなくて鍵がかけられんから心配でな」

「そうか。悪かったな、苦労かけて。金は後で払うよ。車のキーはここにあるが……今未祥から離れたくない。出来ればここまで来てもらいたいけど大丈夫か?」

「分かった。部屋番号を教えてくれ」

可畏が光に番号を教え、しばらく待つとドアを軽くノックする音がした。可畏は眠っている未祥の目の上にキスすると、頭の下からそっと腕を引き抜いた。未祥は少し眉をしかめたが、またすぐ眠りに落ちた。

可畏は音もなくドアの前に移動する。ドアを開けるとスルリと光が入ってきた。手にはマックの袋を持っている。

「一応メシを買ってきた。とりあえず比丘尼は無事だったんだから、食欲も戻っただろ?」

可畏が袋を光から受け取ると、光はベッドの上に目をやった。「あれが比丘尼か」と言うと、可畏の上着のしたで身を縮めて眠っている未祥をしみじみ眺める。

「こりゃまた、めんこいな」

光の率直な感想に可畏は少し笑った。光にとって比丘尼は、話に聞くだけの漠然とした存在だった。想像の中の天女が今、形をとって目の前にいる。豊かな黒髪はふんわりとした三つ編みに結わえてある。白い小作りの顔に閉じられた目の睫毛が長い。赤い唇を薄く開けて眠る姿は、思い描いていた美しさと同じだった。

こんな愛らしい娘と一緒に暮らしていれば惚れないワケがないよな、と光は思った。でもこの麗しき天女は戟≠持つものしか受け入れられない。可畏が今まで抱えてきた残酷とも言える現実が、光の心に実感となって広がっていった。可畏はジーンズのポケットから車の鍵を取り出した。

「これが車の鍵だ。これからどうする? 俺としてはもう少し未祥を寝かせてやりたいと思ってるんだが……」

「そうだな。それはいいが、志門と裕生もあのままという訳にいかんだろう。これからどんどん冷え込むし、車の中でも寒い。それで一つ提案なんだが、この部屋の隣を借りようと思うんだ。このホテルは受付が無人だから三人で入ってもうるさく言われなそうだし、俺はソファで寝られりゃ十分だ」

「それならここに来ればいい。みんなで適当に寝よう」

可畏の提案に、光は首を振った。

「未祥ちゃんに今必要なのはお前だ。そばにいてやれ」

可畏はしばらく無言で光を見つめてから、静かに頷いた。光の心遣いが有難かった。光は可畏の肩に軽くポンと手を置くと、「じゃあ、一度車に戻る」と言って出て行った。

可畏は未祥の眠るベッドの前に行った。大きなダブルベッドの上で手足を縮めて眠る未祥は、いつもより幼く見えた。可畏は身をかがめ、未祥の頬に唇をそっと落とした。未祥のほっぺたはまだ涙で湿っていた。

未祥はぐっすり眠っていたので、可畏はベッドから離れた。さっき光が持ってきてくれたマックの袋を開けてみる。中には、ハンバーガーとセットになった飲み物が入っていた。

可畏はそれを取り出すと、こぼれを防ぐ為につけられた蓋を取った。熱いコーヒーが湯気を立てている。可畏はホッとする思いで、コーヒーを飲んだ。

ポテトをつまんでいると、コツコツと遠慮がちなノックの音が聞こえた。可畏は急いでドアを開けた。

「お邪魔します」と小さな声で言いながら私服に着替えた裕生が入ってきた。後ろから強張った顔の志門も付いてくる。

「未祥は大丈夫ですか?」裕生が訊いた。可畏は頷くと「今、眠ってるんだ」と答えた。裕生と志門は、ベッドで眠る未祥を見た。二人とも悲痛な表情をしていた。裕生の目には涙が滲んでいる。

未祥のどうにもならない運命と、さっきまで羅威から受けていた酷い仕打ちを考えると、神様を呪ってやりたい気分になった。裕生は悔しさを抑えきれずに言った。

「あたし──今度あの羅威ってヤツに会ったら力いっぱい三年殺し≠キメてやります」

可畏は三年殺し≠ェ何なのか分からなかったのできょとんとした。志門は目を閉じて額に手を当て、ため息をついた。可畏は光がいないことに気が付いた。

「光はいないのかい?」

「光さんなら夜のオカズ≠買いに行くと言って出かけました」

裕生が答えると志門がすぐ補足した。

「あの、多分お酒とおつまみの事だと思います。それとホテルに入るのは男女二人の方がいいだろうと言って……」

説明する志門の声は、しどろもどろという感じだった。顔も強張ったままでいつもの元気の良さが感じられない。どうにも落ち着かないようで、脚をもぞもぞさせている。