第三十七話

「俺はさぁ、多聞の変態ジイさんみたいに、カラッカラの女の股に突っ込むのはやりたくないんだ。あれって結構こっちも痛いんだぜ」

羅威はベッドから降りると、椅子に掛けてあった臙脂色のジャケットを羽織った。未祥は羅威を目の端で追いながら、出来るだけ身体を縮めた。手首の紐がこすれて痛い。

「可哀想だからローション買ってきてやるよ。それとついでにエネルギー補給もしてくる。この時間だと塾帰りのお子様達がいっぱいいそうだな。二、三人から血を頂けば、朝までかけてあんたをたっぷり開発してやれるしな」

羅威は上着のポケットから車のキーを出すと、軽く投げてキャッチした。

「ああ、そうだ。ここで大声出しても無駄だよ。みんな大抵凄い声出してお楽しみの真っ最中だからね。その色っぽい恰好で大人しく俺を待ってるんだよ。愛しの比丘尼さま」

未祥の耳に、バタンとドアが閉まる音と、部屋の鍵を回す音が届いた。未祥は起き上がろうともがいたが、両腕を上にあげた状態では、座ることは不可能だった。未祥は震える吐息を吐き出した。身に迫る危機は逃れたが一時的なものだ。羅威が帰ってきたら、今度こそ最後までいくだろう。

未祥は身体から急に力が抜けるのが分かった。諦めるしかないのだろうか。今まで生きてきた比丘尼たちのように。

自らが望まない欲望を受け入れ、ただ我慢して耐えていればいいの? 己を殺し、意志を持たず、言われるがまま身体を差し出し、宝も授け──

未祥は不意に、裕生を思い出した。裕生ちゃんはいつも、自分の意思を持っていた。あたしはそれが羨ましかった。自分もあんな風に前を向いていきたいと思った。今まではそれを漠然と憧れるだけだったけど、ただ思うだけじゃダメだ。小さな事でもいい、実行しなければ……。

未祥は目を閉じた。そして羅威から逃れる方法を必死で考え始めた。






「羅威はどんなやつなんだ?」

自分の実の弟のことを他の人間に訊くのは奇妙な気がしたが、可畏は光に問いかけた。羅威とは五歳の時に別れたきり会っていないので、兄弟でも他人と同じようなものだった。刀利村を出た後、可畏は何度か羅威に手紙を出した事がある。

住所も名前も書かず、消印から居場所がばれないように、父に頼んで遠くの土地から投函してもらった。もちろん返事はもらえないが、学校であったことなど当たり障りのないことを書いた。でもその手紙もいつの間にか出さなくなってしまった。

「羅威は一口に言えば不良≠セ」

光が腕を組んで前方を見ながら言った。不良って古臭い言い方だよな、と志門は思った。チラッと隣を見ると、裕生も志門を見ている。お互いちょっと見詰め合った後、無言で頷き合った。裕生とこんな風にガッチリ意見があったのは、初めてかもしれない。

「あいつがガキの頃の事は、俺は良く知らないんだ。そこそこ年が離れてるから一緒に遊ぶこともなかったし余計だ。羅威は身体が弱いだろう? だから学校も休みがちだったらしいけど、成績は悪くなかったと聞いている」

光は腕を前に伸ばすと腰をひねった。かれこれ二時間半は車の座席に座り通しだ。目的地までもうすぐだった。

「中学の頃はおふくろさんの事で苦労したらしいぞ」
「……母さんの?」

「ああ。おふくろさんはどうも精神的に不安定だったみたいでな。何週間も何もしないでボーッとしていたかと思えば、突然農作業を手伝いだして夜中までやめなかったりしたらしい。何かつぶやきながら村をウロウロすることもあったし、道の真ん中で座り込んで泣いていたりもしたそうだ。羅威はその度、おふくろさんを背負って家に連れ帰っていたよ」

「そうか。そんなことが……」

「それでも羅威は頑張って面倒みていたし、学校も出来る限り通ってた。おふくろさんのご両親も既に亡くなっていたから、父方の祖母と俺の親父が時々世話していたけど、高校入学と同時に村を出たんだ」

「村を出た?」

「おふくろさんを転地療養させたいと言って、村の近くに出来た分譲の別荘を買ったらしい。場所的には刀利村より街に近いし、高校は刀利にはないからみんな街まで一時間以上かけて通わなくちゃならない。

だから病弱な羅威には丁度良かったんだろう。住所はどこかも、金をどうしたのかも全然明かさないまま村からいなくなった。親父は時々高校まで様子を見に行ったけど、真面目に通っていたと聞いた。でも卒業間近になって、突然学校をやめたんだ」

「やめたって……何故?」

「わからん。親父は羅威をつかまえて話を聞こうとしたらしいけど、あんたには関係ないの一点張りだったそうだ。そこからだよ。羅威が不良≠ノなったのは」

遅いデビューだな、と志門は思った。それからなるべく外の様子を見る。派手なライトに照らされたサーチライトホテルを見つける為だ。高速を降りてそれほど走らなかった記憶がある。見逃さないようにしなければ。

「高校をやめた後も、定職には就かんしバイトもしない。酒にたばこに女……薬物には手を出さんかったけどな。ある日暴力沙汰に巻き込まれて警察に捕まって、身元保証人に俺の親父が呼ばれたんだ。俺はその時一緒に行って、羅威をぶっ飛ばした。それから米作りを手伝うように言ったんだ。

あいつは最初面倒そうだったけど、ここ二年ほど農繁期には手伝いに来てるよ。酒造りの方も徐々に教えてる。暇なときは遊びまくってるみたいだか、仕事は真面目にしていた。それがこの二週間ほど無断欠勤だ。休む前に多聞の親父と話し込んでるのを見た村のやつがいて、昨日多聞とその息子が村を出たから俺は後を追いかけたんだ」

それで光は俺を見つけたのか、と可畏は納得がいった。自分の知らない実の弟の過去の話は、可畏の心に暗い影を投げかけた。身体が弱いのに母の面倒を見なければならなかったとは、大変だったろう。

「可畏さん、あれです。右側に見えます」

志門が声を上げた。可畏がフロントガラスから右側に目を走らせると、鮮やかな青のライトに照らされたホテルが見えた。