第三十五話

「ちょ、ちょっと待ってください」

志門は可畏の話について行けず、遮った。

「ええと、お祥は伊助の息子にその……襲われたから乳児になったという事ですか? では比丘尼のサイクルの条件って──」

「戟の所有者、すなわち夫∴ネ外の男とのセックスがきっかけだ」

可畏のズバリな言葉に、志門は完熟トマトのように真っ赤になった。そんな志門を見て、光がからかいの笑みを浮かべる。

「こりゃ、高校生には刺激的過ぎるか? その分だと八咫烏くんは筆おろしもまだのようだな。しっかりお勉強しておけよ。いざって時そこの彼女に呆れられないようにな」

「彼女じゃありません!」

電光石火の如く、裕生が否定の言葉を発した。志門は裕生のあまりに早い全否定に少なからずショックを受けた。

そんな思いっきり拒絶するみたいに言い返さなくてもいいじゃないか。そりゃあオレはまだ童……いや、そんなことはどうでもいい。今は未祥ちゃんの事だ。

志門は自己の経験値の低さを横に置いてから、今の比丘尼のサイクルをもう一度良く吟味してみた。比丘尼は戟の所有者を夫とし、夫以外の相手に抱かれると乳児に戻ってしまう。戟の所有者であった多聞≠ヘ、志門が八咫烏の力を使って突き飛ばし、戟を吐かせたことで比丘尼の夫≠ナある権利を失った。そして次の戟の所有者は可畏の弟、羅威になる。何しろ志門の目の前で戟を手にしたのだから、それは明白だ。

ということは、未祥ちゃんは羅威以外の男に抱かれると──

「……そんな!」

志門が言おうとした言葉を、一足先に裕生が言った。裕生を見ると口元に手を当て、見るともなく空中を凝視している。

「それじゃ未祥は、あの羅威という人以外の男性に抱かれると、赤ちゃんに戻ってしまうんですか? 全ての記憶をなくして次の比丘尼として……」

可畏はすぐには答えなかった。光も今までの明るさを消し、言葉を挟むことを控えた。やがてゆっくり、可畏が頷く。その横顔はどうしようもない孤独と喪失感に満ちていた。






未祥、こっちへおいで!

手を叩いてから両手を広げ、追いつこうとする未祥を待っている可畏が見える。未祥を待つ可畏の顔はまだ幼さの残る少年のものだ。未祥が可畏に追いつくと、可畏は未祥を抱き上げ、頬を擦り付けてくる。

聡おじさんは普段未祥を外に出したがらなかったが、時々近所の公園に連れて行ってくれた。未祥と一緒に公園で遊ぶ時、可畏は学校の友達がすぐそばで遊んでいても、ずっと未祥の相手をしてくれた。

今思い出しているのは自分が三歳くらいの頃の記憶だ。その頃の可畏は小学生だった。元気な男の子にとって小さな子の相手をするより友達と一緒の方が楽しいはずだが、可畏は嫌な顔一つせず、根気よく未祥に付き合ってくれた。

滑り台をやりたいのに、怖くて階段が登れない未祥を後ろから支えてくれた可畏。滑り下りる時も脚の間に未祥を入れて、一緒に滑ってくれた。

「可畏はお母さん≠セな」と聡おじさんは笑いながら言った。

聡おじさんの笑顔はいつも、笑っているのに哀しそうだった。昼間は仕事に行っていて、未祥は日中、市のファミリーサポートに登録している近所のおばあちゃんに自分の家で面倒を見てもらっていた。だからたまに聡おじさんに連れられて、可畏と一緒に公園に来るのが未祥はとても楽しみだった。

可畏はブランコに乗せてくれても、ゆっくりしか揺らしてくれない。「もっと強く押して」と頼んでも、「危ないから」と言ってそっと押すだけだ。未祥がつまずいて転ぶと大慌てで走ってきて、助け起こしてくれる。可畏がお母さん≠ネら、かなり過保護な方だろう。膝についた土をはらって、可畏はおまじないをする。

痛いの、痛いの、飛んでいけ。

聡おじさんは時折、広い腕に未祥と可畏を抱きしめ「幸せになってくれ」と言った。
おまえたちは必ず、幸せになるんだよ……

哀しい笑顔。聡おじさんの顔……。
それが今の可畏の顔にゆっくり変わっていく。

最近の可畏の笑い方も、聡おじさんの笑顔と似ていた。未祥は今、そのことに気が付いた。 可畏は知っていたのだろうか。未祥の悲しい宿命を。比丘尼の身体に起こる、大昔から繰り返されてきたサイクル≠──。

胸元を這いまわる唇の感触を意識の片隅で感じながら、未祥は可畏が比丘尼の生まれ変わりの事実を知っていたと確信した。

知っていたのだ。知っていたからこそ、あんなに思い詰めた顔であたしを見ていた……。

未祥の目からまた涙がこぼれ落ちる。涙を拭いたくても、両手首を紐で縛られているので動かすことが出来ない。ベッドの上部の柵になっている棒の一つに、紐は固定されている。上半身の服は脱がされ、両腕を高く上げる形で未祥はベッドに寝かされていた。

未祥の右の乳頭を強く吸い上げながら甘噛みしていた羅威の歯に、急に力が入った。敏感な部分を強く噛まれたことで、一瞬だけ、未祥の身体がビクリと揺れた。それでも未祥の目は焦点が合わず、ぼんやりしていた。未祥の心は必死で可畏を追いかけていた。まだ少年の頃の、ひょろりと背の高い可畏の背中を。

何も感じたくない。痛みも、苦しみも、そして喜びすら……。何も考えないで幸せだった頃の記憶を辿っていれば、このおぞましい時間もいつの間にか通り過ぎてくれるだろう。

それでも涙が出てしまう。漠然と夢見ていた初体験≠ェ、こんな形で始まろうとは夢にも思わなかったから。

羅威は刀利村の伝説を一通り話し終えると、またベッドの上に乗り「脱げよ」と言った。未祥は首を振った。追い詰められたウサギのように、ベッドの端まで後退した。羅威は未祥の髪を掴むと、また頬を叩いた。その後はどうなったか良く覚えていない。やめて、と叫びながら、めちゃくちゃに抵抗したが、無駄だったことだけは今の状態で分かる。

「俺、SMの趣味はないんだけどさ」

羅威は未祥の胸から顔を上げると、自分が濡らした胸の頂を指で抓まんでもてあそびながら言い始めた。面白そうに未祥の様子を見下ろしている。

「こんな風に縛られてる女の子を見ると、割と燃えるタチだって分かったよ。SMルームを選んで良かった。紐の他にも、手錠とかムチとか、遊べそうなものがいっぱいあるぜ」

未祥は横を向いたまま、何の反応も示さなかった。涙が一粒、目の横をつたって流れる。羅威は表情を変えない未祥を見て、一度馬鹿にしたように笑うと、今度は制服のスカートをたくし上げた。