第三十四話

「それで、結局お祥は天からお迎えがこなかったんですね?」

志門は努めて冷静な声で訊いた。未祥につながる過去の逸話をとにかくしっかり認識しなければならない、と思ったからだ。

「そうだ。理由は解明されてないが、天に上るための条件が合わなかったからだろう、と言われている。お祥は心から愛する男性を見つけなければならなかった。伊助はその条件から程遠い存在だ。天も伊助のようなゲス野郎に来てほしくなかったのかもしれん。

お祥は羽衣を夫に隠されたままの天女のように、伊助に戟を盗られたまま何十年も過ごした。お祥は数十年経っても十六のまま年を取らなかった。天に行けないお祥の宝珠の力は、それでもきちんと完成し、金銀財宝の宿る岩を村に与える事が出来た。

まぁそれも掘るだけ掘らせて、伊助が独り占めしていたらしいがな。その強欲さがあまりに酷いので、村人が怒って伊助の家に火をつけた事があったから、それからは分け前を長に与えたらしい。でも殆どは自分のものにした。それが出来たのは双子の鬼の存在が大きかっただろうな」

「天は何をしているんですか? それと鬼神は? 何で助けてくれないの! 村にお祥を与えた力があるんだから、それくらい出来るはずですよね? というより……」

裕生が涙で声を詰まらせながら言った。そのまま悔しそうに続ける。

「お祥は宝珠で宝を出すことが出来るのに、自分の置かれた現状を変えることが出来ないんですか? 仮にも吉祥天の化身なんでしょう?」

「それは俺も思った。でも比丘尼は神の化身であって、神じゃない。そのあたりを納得するのは難しいかもしれないけど……」

裕生の質問に答えたのは可畏だった。自説をどう説明したらいいか、少し迷う。

「比丘尼は如意宝珠を耳に持ち、戟を手にして現れた。仏教では吉祥天の夫は多聞天(毘沙門天)と云われる。二人は兄妹という説もあるらしいけど、この場合夫婦だと思ってもらいたい。多聞天は戟を持ち、鬼である羅刹と夜叉を使い、北方を守護する神だとされる。吉祥天は左手に如意宝珠を持つ美と幸福の神だといわれる。

刀利村ではその神々になぞらえて、お祥や多聞や鬼の存在を認識してきた訳だけど、神そのものがそこにいるのとは違うんだ。なんていうか……神の簡易版みたいな感じかな。特徴を備えているだけで、本家ではないから神と同じ力を持つ事も出来ない」

可畏の説に、んん、と裕生が眉根を寄せ、ハッと思いついたように言い出した。

「画像編集ソフトの安い方だと思えばいいですか? フォトショップCSシリーズの廉価版がフォトショップエレメンツだから、それに近い存在とか。機能も本家より落ちるし使い勝手も今一つだけど、それなりの能力はある──」

裕生が言うと、わははは、と光が笑い声をあげた。

「上手いこと言うな、おねえちゃん。確かに比丘尼は吉祥天の廉価版だ。能力は人に富を与える事にほぼ限定されている。だから今まで多聞に逆らえず、部屋の奥深くに閉じ込められてズルズルここまで来ちまったんだ」

なるほどな、と志門は思ったが、しっかり納得できたかというと微妙だった。でも考えてみたら自分も同じかもしれない。神使である八咫烏の血を引く一族に生まれ、偶然にも意識を外に飛ばせる能力を持つものの、別に神様に頼まれて何かを成している訳ではない。となるとオレは八咫烏の廉価版になるのか──。

それにしても、と志門は思った。未祥ちゃんの先祖は悲惨な歴史を辿ってきたんだな……。でもそこで重大な疑問が浮かび上がった。

「あの、未祥ちゃんはお祥とは違うんですよね? 今の話からすると、お祥は年を取らないはずだけど、未祥ちゃんとお祥は同じ人間なんですか?」

可畏は前方から一瞬目を離すと、光と視線を合わせた。どちらが説明するかを目だけで話し合い、可畏が語ることに決定した。

「未祥とお祥は同じ人間とも言えるし、そうでないとも言える。比丘尼はある条件下で生まれ変わるんだ。死ぬわけじゃなくて、現れた時と同じ乳児に戻る。外見はそう変わらないが、先代の記憶は引き継がれない。全く別個の人間として再生するんだ。それを俺たちは比丘尼のサイクルと呼んでいる」

「サイクル……? 再生、ですか?」

「そうなんだ。その条件は──少し君たちには言いにくい内容ではあるけど、ここまで話したから聞いてもらうよ。伝説を聞いていけば自然に分かるから、お祥と伊助の話を続けよう」

可畏は一度息を吸い込むと、横を流れていく夜景を無意識に眺めた。夜の高速は金曜のせいか車の数が多かった。追い越し車線で走っていてもスピードは八十キロを超えることはない。それでも可畏は事故に遭わないために、気を引き締めてから話し始めた。

「お祥と伊助の間には子供が出来なかった。でも伊助は金にものを言わせて幾人もの妾をつくり、子孫を残すことが出来た。鬼の子達も天に行くのを諦め、それぞれが村の娘を嫁にもらい子を儲けた。

鬼達はお祥がいることで自らのカニバリズム(人肉嗜食)の欲求は抑えられていたが、吸血行為の方は残ってしまった。多分、天に行けなかった事が原因だろう。それでも鬼たちが血を飲むのは、大きな岩を掘るような特に力が必要な時に限り、妻や村人から分けてもらう形だったらしい。

お祥も鬼も、失意のまま時は経ち、伊助の子供も大きくなった。光の言う通り伊助は鬼畜だが、その息子もまごうことなき鬼畜だった。息子は父親が後生大事に部屋の奥に隠しているお祥という女を、自分のものにしたいと思うようになった。

お祥はいつまでも美しく宝も授けてくれる。父親からお祥を奪い取れば、今度は自分が宝を独り占め出来ると思ったんだろう。ある日息子は伊助も鬼もいない隙を狙ってお祥の部屋に押し入り手込めにしてしまう。

そして伊助が家に戻ると、息子は伊助を刺し殺し腹を割いて中から戟を取り出した。これで若い女と鬼と宝、全てが自分のものになったと息子は喜んだ。でも翌日お祥の部屋を見てみると、そこには美しいお祥はおらず乳飲み子がいた。

その赤子の耳にもお祥と同じ宝珠がついていた。その子は大きくなると十六で成長を止め、お祥と同じく村に富を与え、新たに生まれた多聞の息子に襲われると乳児に戻った。それをずっと繰り返してきたのが、刀利村の八百比丘尼なんだ」