第二十六話

「刀利村には昔から鬼涙川(きるいがわ)≠ニ呼ばれる川が村の真ん中に流れていた。この川は普段、農作物を育てる上で大切な水源になっていた。でも一度大雨が降ると増水して荒れ狂い、作物を根こそぎ持って行ってしまう一面もあった。鬼も泣くほどの洪水を起こす、という意味で鬼涙川と呼ばれていたんだ。

村の古い伝承には、この川に落ちて死んだ子を嘆き悲しんだ鬼が、川の両脇に土嚢をたった一晩で積んでくれ、それから洪水に悩むことはなくなったという話がある。それ以来村では、毎年春になると鬼を讃える祭りを行うようになった。氷が溶け始める三月のお彼岸の頃、春の息吹を連れて山から鬼神が舞い降りてくると信じられていた。

実際は鬼の面をつけた村の若者が各家を巡って供物を受け取り、代わりに厄を払うという単純な祭りだったらしい。でもある日本当に、灰色の髪と目を持つ美貌の若者が山から突然現れた。彼は名を仁≠ニ名乗り、村人が見たこともない輝く宝石や金をお土産に持ってきた。

そして村一番の美しさを持つお雪と夫婦になった。
村人は彼を本物のまれびととして丁重に扱い、お雪の夫として将来は村の長になってくれることを望んでいた。しかし仁は突然去った。その後お雪は双子の男の子を授かった」

「その双子が俺と可畏のひい、ひい、ひい……まぁ、ひいが何個つくか分からんくらい前のじいさんだ」

可畏の語る昔話に、光の鼻にかかった声が割り込む。光が話すと緊迫した空気が和らぐ感じがして、裕生はホッとした。

「双子の男の子の名前は、兄が羅刹(らせつ)、弟が夜叉(やしゃ)といった。名づけたのはお雪だと言われている。仁から子供の名に関して何か示唆があったのかもしれないが、記録には残ってないそうだ。とにかくお雪は、仁という男がどこぞの異邦人で、自分を捨てた只の旅人だとは思ってなかったらしい。仁は真のまれびと、山から舞い降りた鬼神だと信じて疑わなかったんだ。実際俺たちに鬼としての特殊な力があるから、あながち嘘の言い伝えだとは思えないけどね。でも俺は自分自身、どこか鬼の話は眉唾だと思っている」

「おいおい、本気か? 確かに俺たちゃ角が生えてるワケでも、トラ柄のパンツばかり穿いてるワケでもないが、人間にしとくにはちょっと突飛な能力があり過ぎるだろう。俺はこの前本当に自分の体が空に浮いた時、やっぱり俺は鬼だったんだと自覚したばかりだぞ」

「光さん、空を飛べるんですか?」

志門と裕生が同時に言った。二人は先刻車に乗る前、光から「俺は可畏と同じ鬼だ。残念ながら金棒は持っていない」という自己紹介を受けたが、空まで飛べるとは思っていなかった。

「おう。そこのぼっちゃんと違って、俺は体そのものが宙に浮く。まぁ、目立って仕方ないからそうそう披露は出来んがな。こんな能力はいらんと思って今まで受け継ぐ気はなかったんだが、やってみたら面白い。ビックリ仰天、ファンクな経験だったよ」

笑いながら光が言う。可畏は前方から目を離さないまま、光に問いかける。

「天夜叉の力を受け継ぐ気がなかった? で、今になってそれを受けたのか?」

「そうだよ。農業をやるのに空を飛ぶ必要を感じなかったからな。というか、もうこんなおとぎ話から解放されたい気持ちが強かったんだ。親父は継がせたがったけど、俺はずっと拒否していた。でも今回多聞が怪しい動きを始めて、羅威もいなくなるし、これは非常事態かも、と思って親父に血をもらったんだ」

「血をもらう……?」

「そう、父から息子へ血を分けるんだ。ああそうか、可畏は速疾鬼の力を親父さんから受けてないんだったな。じゃあ、能力の受け継ぎ方も知らないのか?」

「ああ、知らない。親父はお前が二十歳になったら引き継ぐと言ったまま、俺が十八の時に死んでしまったから」

ふむ、と光は頷いた。

「俺たち鬼は人間の血を吸うだろう?」

光が言うと、志門と裕生は密かに息を飲んだ。こんな大柄な男二人が人間の血を吸うとは……。この二人は信用出来そうだが、油断しないほうがいいと志門は思った。オレはともかく、裕生だけは守らなくては。

「大昔からあるドラキュラの伝説みたいに、血を吸った後、牙の跡が二つ首筋にポツンと残るような現象は俺たちがやっても起こらない。なんといっても牙そのものがないからな。どうやら俺たち鬼の唾液には特殊な成分が混ざっているらしい。吸血の為に首を傷つけてしまっても、舐めたら傷はなくなる。でもその効果は人間限定のモノなんだ」

「そうなのか?」

「うん。例えば鬼が鬼の首に吸い付いて血を頂いたとすると、傷つけられた方の鬼は死んでしまう。多分、唾液に含まれる特殊成分が鬼同士の体だと拒絶反応を起こすんだろう。要するに、鬼にとって鬼の唾液は毒になるということだ。

だから親父が俺に血を分けたときは、なんと注射針で腕から採血したんだぜ。健康診断みたいに。そしてその血を俺はコップで飲んだ。あんまりいい見た目じゃなかったけど、トマトジュースだと思えばなんとかいけた」

今や車内はいいようのないほど奇妙な空気に包まれていた。可畏はその新しい情報に驚き、志門と裕生は生々しい鬼の話にショックを受けて。