第二十五話

「あの、未祥に電話したらダメですか?」

重い空気を破って、裕生が可畏に聞いた。可畏はすぐには答えなかった。聞こえていないのかと思ったら、ジーンズのポケットからおもむろにピンクの携帯を出した。

「昼間、大学から未祥の携帯に何度も電話をかけたんだ。でも出なかった。さっきここに帰ってから部屋を見たら、携帯は机に置いてあった。今日の朝は──ちょっと余裕がなくて急いでたから、忘れたんだと思う」

今朝の事を思い出して、可畏はまた胸の奥に痛みが走った。
願いを叶えて、と訴えてきたひたむきな瞳が、もう遠い昔の夢の中の出来事のように記憶の中でかすれていく。手の中にある最新式のスマートフォンにつけられたテディベアのアクセサリーストラップが、悲しげにきらめいて持ち主を待ちわびているような気がした。

「──行きましょう。そのホテルまで」

きっぱりと言い切ったのは、裕生だった。男三人はポカンとした顔で裕生を見る。

「こんなとこでグダグダ悩んでても、何の解決にもなりません。話なら車の中で出来るでしょう? 間に合うかどうかなんて分からないけど、あたしは未祥を助けたい。だって……どんなに可畏さんにそっくりでも、未祥は羅威って人を知らないんですよね? そんな男に抱かれるなんて、同じ女として未祥が可哀想過ぎます。未祥も絶対イヤだと思う」

言い終わると裕生は三人の顔を順番に見る。志門はほんのりと頬を染めて裕生を見返し、可畏と光は新しいものを発見した子供のような顔で裕生を見ていた。

「そうか……。比丘尼にも気持ち≠チてものがあるんだ。当然だよな。よし、可畏行こう。引き止めて悪かったな」

可畏は感謝の気持ちで光に頷いた。そして裕生と志門を見る。

「今から出掛けるとなると遅くなる。君たちに付き合わせるのは申し訳ないが──どうしたい?」

可畏としては高校生には帰宅して貰った方が助かると思った。でもこの子達もこのままでは納得できないだろうと考え、意見を聞くことにした。

「あたしは行きます。明日は土曜で学校は休みだし、親には未祥のお家に泊まらせてもらうって連絡します。志門は……明日部活だよね? 海原女史と約束もあることだし、帰る?」

「冗談じゃねぇ。ホテルの場所知ってんのはオレだぜ。部活なんてどうでもいいし、海原はもっとどうでもいいよ。行きます。オレも親には友達のとこ泊まるって連絡します」

二人が家に嘘の内容の電話をしている間に、可畏は毛布を車に運び込んだ。光が台所の戸棚を探って食料になりそうなものを見つけ、湧いたコーヒーを水筒に入れる。 準備が整ってすぐ、四人は可畏の車に乗り込んだ。





ホテルの薄暗い照明の中、未祥はベッドに寝かされていた。意識はまだ戻らない。
男は少女のブラウスのボタンを外していく。少女の着ていたコートと学校指定のブレザーは既に脱がされ、襟元のリボンと共にぞんざいに床に投げ出されていた。

男の指が未祥のブラウスの最後のボタンをはずした。そのままその手が、ブラウスの前身頃を左右にはだける。白いレースのキャミソールに包まれたほっそりした胴体と、豊かな盛り上がりを誇る胸元が男の目の前に露わになる。男は少女の胸元のレースを指先でかき分けるようにずらすと、柔らかなふくらみに指を這わせた。

「う……ん」と少女が声を出す。でもまだ目は開かない。
男は胸から手をどけると、少女の上に覆いかぶさった。





「刀利村の伝説はまれびと≠ェ山から降りてきたことで始まった」

助手席に座った光の声が車内に低く響いた。可畏はハンドルを握りながら、夕映えの赤に闇夜の黒を混ぜ込んで毒々しい色に変わった空を、フロントガラス越しに見ていた。太陽が沈むと急速に気温が下がる。車の暖房はエンジンが温まると共に快適な暖気を吐き出し始めていた。
志門が可畏の車を見て「スゲー! ランクルのZXだっ」と騒いだだけあり、車は内装も乗り心地も申し分なかった。

「まれびと?」

裕生が後部座席から、口をモグモグさせて光に問いかける。四人はそれぞれに食欲がなかったが、食べないといざという時力が出ないぞ、と光が言い、台所に残っていた菓子パンやクラッカーを味気ないままかじっていた。可畏はパンに口をつけようとしたが、結局食べずに光に渡した。光は心配そうに可畏を見たが、特になにも言わなかった。

「異人とか、来客のことですよね? 閉鎖的な村に時々訪れるという……」

志門が水筒の蓋に注いだコーヒーを飲みながら言った。本当は甘いコーヒーが好きだったが、裕生の手前ブラックを美味しそうに飲んで見せる。

「刀利村のまれびとは神様として伝えられている」

光が言うと、可畏が補足するように説明を始めた。

「まれびとに関しては諸説様々だろうが、刀利村では異界からの来訪者、つまり神≠ェ山から現れたと言い伝えられてきたんだ。北の小さな農村だった刀利の里に、ある日背が高く髪の長い異形の人物が訪れた。その男は山からフラリと降りてきて、村の長の娘、お雪を見初めた。お雪もその男を一目見て恋に落ち、二人はしばらく一緒に暮らした。やがて男はどうしても戻らなければならないと言って、お雪を置いて山に戻ってしまった。長は男を恨んだが、お雪は幸せそうだった。何故ならその時彼女のお腹には子供がいたからだ」

可畏の声は遠い昔の、今ではおとぎ話となった刀利村の言い伝えを語り始める。志門と裕生は可畏が積んでくれた毛布にくるまりながらその不思議な話に耳を傾けた。