第二十三話

「先代の祥那が父と村を出た後すぐに、ジャンボ宝くじの一等が当たったんだ。その金で親父は家を建てたよ。十七年前の話だ。半年後にはもう一度一等を当てた。比丘尼の恵み≠フ力は一度使うと半年程度使えないらしいんだ。

でもそのお蔭で暮らしに不自由はなかったよ。親父は祥那の戸籍を金の力で手に入れて、自分は仕事をしながら普通の市民として生活していた。祥那にとっては短い間だったけどね」

過去を語る可畏の顔は、懐かしさで和らいでいた。五歳で母と離れた可畏にとって先代の比丘尼祥那は、美しく、悲しい、もう一人の母として記憶に残っている。

「そうか、それなら村以外でも比丘尼の力は有効という事になるな。じゃあ、なんでもっといい場所に住まない? 俺なら喜んで高級マンションに住むぞ」

「引っ越しの為だよ。俺はずっと追われていると思っていたから、すぐ逃げられるように保証人にうるさくない賃貸を選んでるんだ。荷物も増やすと移動に不便だから最小限にしてる。本だけはどうしても増えてしまうけど」

狭い部屋に置かれた大きな書棚には、ずらりと歴史書が並んでいる。裕生は以前、興味を持って開いたことがあるが、あまりに専門的な事が書いてあるので五秒ほど眺めてすぐ閉じたのを思い出す。

「今の比丘尼にも恵み≠フ力はあるのか?」
「十六になってないから完全ではないけど、あるにはある。未祥は時々、この番号のロト6を買えとか、この会社の株を買えとか言うんだ。それに従うと大抵当たる。でも頻繁じゃないよ。それに祥那のように自分で願って当たらせる≠ワでの力はない。……今日まではね」

可畏の最後の言葉は、ため息と共に吐き出された。日常の延長で迎えられると思っていた明日。当たり前に来ると信じていた明日という日が、思いもかけない軌道を描いて横にずれて逃げてしまった。

「あのう……聞いてもいいですか?」

躊躇いがちに声を上げたのは裕生だった。可畏と光は同時に裕生を見やる。

「未祥はなんか──スゴイ人なんですか?」

裕生の問いかけに可畏と光はお互いの顔を見た。今まであまり考えることなく、裕生の前で普通ではあり得ない会話をしてきた。裕生は最初こそ泣いて取り乱していたものの、その後は騒ぐでも恐れるでも拒絶するでもなくそこに存在したので、自然に鬼や比丘尼の話をしてしまった。

昨今、事なかれ主義が横行している日本では、理解できないことが起こるとみんな見て見ぬふりをする傾向にある。巻き込まれて面倒な目に合うなら、知らんふりして通り過ぎる方が楽だからだ。

裕生も関わるのをやめ、逃げる方法もあったはずだ。それをこの子は平静な顔でここに座っている。だからつい自分たちにとっての普通である、鬼や多聞の話をしてしまったのだ。

ある意味、この悠然とした態度は才能だな、と光は思った。この子はこの先大物になるかもしれない。

「ここまで来たら、彼女にも事態を説明すべきだろう。それに俺たちも話し合わなきゃならないことが山ほどありそうだ」
「ああ、そうだな」

光の提案に可畏は頷いたが、二人が交わす視線には、裕生には明かされない暗黙の了解があった。この子にとって刀利村の秘密を知ることが危険を生ずるものだと判断した時点で、全てを忘れるよう暗示をかける可能性もある、と。

ゴポ、という音と共に、コーヒーメーカーが動作を止めた。
「あ、コーヒー出来た。私入れてきますね」

裕生は立ち上がると台所に向かった。どう話そうかと考え始めていた光は、のんきとも思える裕生の行動に気が抜けてしまった。風力を強≠ノ設定してつけた暖房のお陰で部屋は暖まり、漂う香ばしいコーヒーの香りで緊張も解けてしまう気がした。

でも人間、ずっと気を張ってはいられない。ここで心ばかり焦らせても、比丘尼の行方は分からないのだ。少しでも落ち着いて、みんなで知っていることを話し合うのが最良の索かもしれない、と光は思い直した。

「ぶはぁ!」という声が隣の部屋から聞こえたのは、その時だった。
可畏と光は瞬時に立ち上がり、志門を寝かせた部屋に向かった。陽もかなり暮れていたので可畏の部屋は薄暗かったが、二人の鬼の目には志門がベッドの上に半身を起こしているのがちゃんと見えた。

志門は可畏のベッドの上かけを握りしめ、肩を上下させながら荒い息を吐いている。二人の大男がベッド脇に近づくと警戒するように歯を食いしばった。そして可畏の顔を見た途端、「てめぇ……」とつぶやき突然殴りかかった。

今まで寝ていたとは思えないくらい、素早い動きだった。掛けていた布団を跳ね飛ばしてよけ、低い姿勢で可畏に手を繰り出す。志門は確実に当たった、と思ったがそれは別の手ごたえだと気がついた。ガツンと来たのは相手の手が自分の腕を掴む衝撃だった。そのまま志門はくるりと回転させられ、気付いた時は可畏の腕に首を羽交い絞めにされていた。

「落ち着け、俺は敵じゃない」

悔しいくらい冷静な声がすぐ後ろから聞こえる。志門は動こうとしたが無駄だと分かった。首に絡み付く腕は力強く、万力のように動かない。クソッ、と志門は思った。躰道五段のオレが敵わないなんて、こいつどんだけ強いんだよ。

志門が力を抜き、攻撃の意思がなくなったのを確認してから「離すよ」と言って可畏は腕を緩めた。

可畏がゆっくり志門から離れる。志門は下を向いて「はぁ」と息を吐き出した。そして首に手を当てると、悔しさを前面に出したまま振り返った。