第二十一話

朝の雨が嘘のように晴れた冬の夕空は、冷えた空気をあざ笑うかのように赤く燃え上がっていた。フロントガラスから見える住宅街の狭い道路は、これから訪れる夜の冷気を待ちながら、熱のない濃い朱色に染まっている。

究極の暖色である赤なのに、冷たい夕日。冬の夕方は今の俺の心のようだと可畏は思った。赤く燃えているはずの未祥への愛情。でもその赤は切れそうな冷たさに満ちている。

もう未祥には会えないかもしれない。そんな恐ろしい予感が可畏の脳裏を駆け抜ける。アパートへ向かう道角を慎重に曲がった後、それは目に入った。未祥と同じ制服を着た少女が道端にうずくまっている。

「おい、あれ」と光が指差す。
可畏は頷くと、急いで車を左端に停車した。後方を確認して運転席のドアを開ける。バタン、とドアの閉まる音が二回、静かな住宅地に響いた。

「志門、ねぇ志門! 目を開けてよ。志門ってばっ」

うずくまる少女が必死で呼びかける声が聞こえた。可畏と光は取り急ぎ少女の元に走る。駆け寄る足音を聞いて顔を上げた少女の頬は涙に濡れていた。美人というのではないが、なかなか可愛らしい顔立ちをしているな、と光は思った。

少女の周りには独特の香りが残っていた。鬼特有の匂い。そして──腐臭。
光は顔をしかめた。ここには確かに鬼がいたが既に去ってしまっている。

少女は同じ学校の制服を着た男子生徒の頭を膝に乗せている。長々と横たわる少年は完全に意識を失っているように見えた。目を瞬かせて、涙の粒を落としながら可畏に視線を寄越した少女の顔が、ビクッと引きつった。

「あ……あ……あ、かい──あなた、さっき……」

上手く言葉が繋がらない少女が発する単語を耳にして、可畏と光は顔を見合わせた。もしや、という二人の共通の思いがお互いの目に浮かんでいた。

「君は……もしかして俺≠ノ会ったのかい? 俺とそっくりな男に」

少女は涙をこぼしながら唇を噛んで首を縦に振った。「ふ……服が違……」となんとか伝える。その間も少年の額と頬に両手を当てたまま離さない。

「分かった。ごめん、驚かせて。覚羅可畏は俺だよ。そいつは俺の弟なんだ。一卵性の双子だから瓜二つだと思う。混乱しているところ本当に悪いけど、そいつがどこに行ったか分かるかい?」

可畏はゆっくりと、相手を落ち着かせる声で話した。
光はこんな時だが感心した。可畏は誰よりも比丘尼の行方を知りたいはずなのに、事情を知っていそうな少女を詰問するような事はしないでいる。そんなことをすれば、余計この子が混乱すると分かっているのだろうが、人間焦っているとなかなかそこまで配慮できるものではない。

可畏は弟の羅威とは、かなり性格が違うようだと光は思う。いくら双子だといえ、同じ性格になるとは思えないが、可畏には羅威にはない細やかさがあると感じた。

少女は一度ギュッと目を閉じると、両手で自分の頬をパンッと叩いた。そして手で涙を拭い、毅然とした表情で可畏を見つめる。

「最初から順を追って話した方がいいですか? それとも結果から?」

可畏は一瞬意外そうに目を見開いたが、すぐに笑顔を返して答えた。
「最初から順に。その方が君も説明しやすいだろう」

こくん、と少女は頷くと今まであった出来事を可畏と光に話し出した。

「私は神堂裕生です。未祥のクラスメイトです。この気絶してるのは烏川志門といいます。今日は未祥の家に二人で遊びに行く予定でした」

可畏は一度裕生に頭を預けたまま意識を失っている少年に視線を向けたが、特に何も言わず黙ってうなずいた。

「三人でお喋りしながらここまで来たら、突然目の前に猿みたいな男の人が現れたんです。未祥に向かっておひいさま……とか言ってました」

可畏と光はお互いを見た。「多聞だ」と光が言う。

「……なんでか分かりませんが、志門が突然その人のこと、突き飛ばしたんです。そうしたらその男の人は急に苦しみだして……金色の棒みたいなものを吐き出しました。つま楊枝くらいの大きさの」
「金色の……棒」

つぶやきながら可畏が光を見る。「戟、とみていいかな?」と問いかけると、光は人のよさそうな顔に厳しい表情を浮かべて「ああ」と答えた。

「その猿顔の人は凄く怒って、すぐに金の棒を拾おうとしました。でもそこに──可畏さんが現れて……」

裕生はさっき自分が見たものをどう説明したものか迷うように視線を彷徨わせた。その手はすがるように志門の髪を撫でている。

「可畏さ……いえ、可畏さんとそっくりな人は、その金の棒を取り上げました。あっという間に現れて、今でもどこから来たのか分かりません。突然、目の前に立っていたんです。それで金の棒を取り返そうと飛び掛かってきた猿顔の人の頭を──踏みつけたんです」

その時の音を思い出して、裕生は身震いした。あの時は酷い光景を見せまいとする志門に抵抗してもがいたりしたが、今思うと見なくてよかったと思った。見てしまったら、夜一人でトイレに行くことが出来なくなりそうだ。

「志門が庇ってくれたので、猿顔の人が殺……死ぬところは見ないで済みました。多分、死んだんだと思います。私がもう一度見たときは、猿顔の人は服だけになっていたので」
「服だけ?」

光が不思議そうに言ったので、裕生は少し離れたところにある猿男の残骸を手で指し示した。可畏と光は地面に残された服と黒いシミを見てから、また視線を合わせる。

「羅威が多聞を殺したのか。鬼は多聞を殺せるのか?」可畏が光に聞く。
「なんとも言えんが……鬼は戟の持ち主に逆らえないだけだ。戟を吐き出したところをみると、多聞は戟を飲み込んで保管していたんだろう。それを吐かされて、他の人間に取られ殺された。その瞬間に俺たちは一度呪縛から解放されたんだ」

呪縛から解放され、すぐにまた呪縛が戻った。そうなると次の戟の持ち主は──

「そいつは? 俺にそっくりな男はその後どうしたんだい?」

さすがに冷静さを欠いた声で、可畏は裕生に向かって言った。裕生はひるまず、可畏を正面から見つめて答える。

「その人は未祥を自分の方に呼び寄せて、未祥にキスしました。そして突然、未祥のお腹を殴りつけたんです。倒れた未祥を抱えて、その人は消えました。嘘じゃありません。フッといなくなったんです。それと同時に、今度は志門が倒れてきました。なんとか地面に頭をぶつけないように支えたけど、重くて私じゃ運べないし……そこにお二人が来たんです」