第十六話

「それでは今日はここまで」

担任の教師が終わりの言葉を告げると、生徒は一斉に立ち上がった。日直の号令と共に気怠げにみんなが頭を下げ、今日のすべての日程が終了した。未祥は鞄をロッカーから取り出すと帰り支度を始めた。

「未祥〜、帰りにコンビニでお菓子買いたいから寄っていい?」

裕生が既にコートを羽織って鞄を腕に抱えながら未祥の席まで来て言った。

「いいよ。あ……そういえば裕生ちゃん、美術部は行かなくていいの?」

未祥は裕生が部活に入っていたことを思い出して聞いた。今まで時々裕生が未祥の家に遊びに来たことがあるのは、部活が休みの時だったはずだ。

「いいの、辞めたから」
「えっ。うそ、なんで?」
「だって顧問の飯田、全然自由に描かせてくれないんだもん。美術は基本から始めなくちゃならん、とかぬかして三角だの四角だの丸だのずっと紙に描くだけ。才能があったとしても死ぬ」
「うーん、そうか。裕生ちゃんは好きなように出来ないとダメなタイプだしね」
「そう。あたしは野生児なの。みんなのように黙って指示されたことをこなすだけなんて絶対無理」
「それはただ単に協調性がないだけなんじゃないか?」

後ろから声が掛かって、未祥は振り向いた。志門が皮肉気に笑いながら黒のスポーツバッグを肩に掛けて裕生を見ている。

「そうともいう。あたしは人に合わせて生きていくなんてしたくないし」

ふふん、という顔で裕生が志門に言い返した。また小競り合いが始まった、と未祥は二人のやりとりを楽しく見学することにした。

「お前なぁ、昨今芸術家でも好きなものを好きなように作ってる人なんて一握りだぞ。仕事となれば依頼されたものをキッチリ仕上げるのも才能の内だ。芸術で食っていきたいなら、アウトローはやめるんだな」

志門は腕を組むと、諭す様に裕生に向かって言う。

「それも一理あるね。でも百歩譲っても、三角を描き続けるとこに意義があるとは思えない。志門だってバスケでずっと腕立て伏せだけしてろって言われたら嫌にならない?」

裕生の意見に、志門は考え込む顔つきになった。
しばし目を閉じた後「確かに嫌だな」と本心を言った。

「でしょ? トンチンカンなところで頑張ろうとしても無理。時間の無駄。だからあたしは自分が納得できるステージを探したい。それで失敗しても自己責任だもん。 笑いたい奴は笑えばいいし」

裕生が続けて話す内容に、未祥は眩しいくらいの羨望を感じた。
裕生ちゃんはなんて強いんだろう。それに引き替えあたしは自分≠ニいうものがない。自己を確立する、ということが未祥には漠然としか分からなかった。

「……そうか。お前はただの無謀な考えなしじゃなかったんだな」

志門が答えた。未祥はその返答を聞いて、志門のおおらかな性格にも感心した。裕生の言い分に腹を立てたり、更に反発するような事を言い返したりしない志門には、年に合わない人間的な大きさを感じる。
裕生は神妙な顔で頷くと、重々しく志門に向かっていった。

「実は顧問の飯田の顔が気に食わないんだけどね。あんな顔を部活の度に見せられると、美的センスが狂うと思う。人間として間違ってる」

志門は一瞬目を見張ってポカンと口を開けた後、脱力した様に下を向いて首を横に振った。

「人間としてサイテーなのはお前だ。感心して損した。裕生は無謀な上に失礼極まりないんだということが良く分かった。未祥ちゃん、こんな奴は置いてサッサと帰ろう」

未祥は我慢できずに笑いながら「ごめん、裕生ちゃんを置いて帰れない。あたし、裕生ちゃんが大好きなの」と言って立ち上がった。

「あら嬉しい。あたしも未祥が大好きだよ」言ってから裕生は志門にニッと笑いかけた。志門は憮然とした顔で腕を組んで裕生を見返す。そこで志門に声が掛かった。

「志門くん、今日女子と混合で試合しない?」

未祥はドキッとした。声を掛けたのが海原美恵だったからだ。今日は国語のテストはなかったし、自分に話しかけているのではないと分かっていても、なんとなく身構えてしまう。

「あーわりぃ。オレ帰るんだわ。男バスは今日部活出るの二人だけだぜ。先生も会議だし今日は自主トレで終わるらしいから出るのやめたんだ」

志門が美恵に向かって言った。海原美恵は女子バスケ部に所属している。女子は部員が二十人ほどいるが、志門の所属する男子バスケ部は人数が六人しかいない。県内でも最低レベルの弱小チームなので、部員もあまりやる気が起きないらしい。

志門は躰道を習っているし、入学当初部活動をする気はなかったが、このままだと部がなくなってしまうと先輩に泣きつかれ、仕方なくバスケ部に入ったのだ。

「それなら試合するのに丁度いいじゃない。この前混合試合した時すごく楽しかったら、またしたいねって先輩たちとも話してたんだよ。他はいいけど、志門くんだけは絶対連れて来てって、先輩からのキツイ命令が出てるんだ。同じクラスのあたしが任されたの。怒られちゃうから来て、お願い」

美恵は志門の腕を引っ張ってせがんでいる。志門は困り顔だ。
未祥は志門に、一緒に帰ることを断ろうと思った。本当は部活に出なければならないところを、志門は朝の妙な視線を気にして、未祥を送ってくれようとしたのだ。

志門の厚意は有難いし、送ってもらえるのは心強いが、所属している部活動をそんなあいまいな理由で休ませてしまうのも気が引けた。

未祥が志門に話しかけようと口を開けた時、裕生の手が未祥の顔の前に出され、遮った。