第十五話

光は困惑して可畏に伝える。

「可畏の親父さんが比丘尼を連れて村を出た時、夜衆の筆頭である俺の親父は、良くやってくれた、と言ったんだ。あの後、多聞の猿ジジイが東南アジアの買春ツアーから帰って来て、大慌てで比丘尼の行方を探せと言ったけど、親父は全く乗り気じゃなかった。

それでも多聞の命令には逆らえないから、毎年地域を変えて比丘尼の居場所を探してはいたがな。結局見つからないままだった。四年前に羅衆当主の印である破魔矢が多聞家の神棚から落ちて二つに割れたんで、覚羅聡は亡くなったと分かったんだ。

鬼は死んだら霧散するだろう? その気配を追って死んだ場所まで行ってみて、それが道端だったから親父は交通事故≠セと判断したらしいぞ」

「違う。俺は親父の死に際に会ってる。親父は首を切られて死んだんだ。ここは危ない、未祥を連れて遠くへ逃げろ、と俺に告げてから息絶えた。親父はずっと、比丘尼を村から取り上げた自分を夜衆の当主は憎んでいるだろうと言っていた。だから俺はあんたら夜衆が俺たちを追っていると思ってたんだ」

可畏と光は口をつぐむと、お互いを無言で見つめた。可畏にとって光の情報は明らかに間違ったものだ。父は血にまみれ、息を切らしながら可畏に最期の言葉を伝えた。首筋は大きく切れていて、その時勤めていた会社の青い作業着が、どんどん赤紫色に染まっていったのを昨日の事のように覚えている。

羅衆筆頭、「速疾鬼(そくしつき)」の能力を持つ父が、車になど轢かれるはずがない。速疾鬼は風のように素早く動けるのだ。その父の首を切るなどという芸当が出来るのは、夜衆の長兄だけだろう。空を自由に飛ぶことの出来る「天夜叉」の能力がないと、そんな事を実行するのは不可能だ。

可畏の手が震え始めた。そんな可畏の様子を見て、光は落ち着きを取り戻した。
「事故」だと思っていたのと、「殺人」だと思っていたのでは、気持ちの上で大きな差がある。

光は目を見張ったまま立っている可畏の肩に手をかけた。可畏は肩を振って手を避けると、光を睨み付けた。光は軽く目を伏せ、寂しげにため息をついた。

「俺にも事態がよく見えん。でもここで俺達がいがみ合っていても平行線で解決の糸口はない。とりあえずどこかで話し合おう。……おっと、授業はいいのか?」

可畏はまだ渋面を作ったままだったが、こんな時に授業の事を気にする光の性格に力が抜けてしまった。この男は夢の世界で生きていない。

刀利村のような、おとぎ話を地で行く世界で育っても、リアルな人間界のシステムに従う事を忘れてはいないのだ。可畏はそれがとても自分の感覚に近く、親近感を感じることに気がついた。

「……授業はもういい。必修科目ではないし、休んでも問題ない。どこに行く? 大学の外の方がいいと思うが──」

「なんなら可畏の家に連れて行ってくれ。どうせなら比丘尼にも一緒に話を聞いて貰いたい」

「比丘尼は家にいない。未祥は今、学校に行ってるんだ」
「学校!?」

今度の光の驚きは、さっきより大きかったようだ。光の大声が誰もいない廊下に響く。可畏はここが特別室の集まった校舎で良かったと思った。普通に授業をしている教室の横なら、みんなが廊下に顔を出すだろう。

「ちょっと待て。それでは比丘尼は普通に外を歩いてるんだな? 部屋に閉じこもっているんじゃなくて」

「そうだが……? 未祥は人間と同じように育てられたんだ。普通に幼稚園に行き、義務教育も受けて高校に入学した。今まで通う学校自体にも全て結界を張ってきたが、基本的にはあまり未祥を外に出さない。未祥にも結界を張って輝きは見えなくしている。刀利の追手に見つかりたくなかったからな」

学校……、ともう一度光はつぶやくと、「まずい」と表情を険しくする。そして可畏の肩を今度はどつくように掴んだ。

「比丘尼は狙われている。どうも多聞の動きがおかしいと思ってたんだ。俺は不安だったから多聞の息子の後を追いかけてここに来た。多分あいつら、比丘尼を捉えるつもりだぞ」

「なんだ、それはっ」
可畏はさっきの光より大きな声で問い返した。

「多聞は比丘尼がいなくなってから、刀利ではかなり肩身が狭かった。あいつら一族が多聞≠ネどと名乗って刀利村を仕切ってこれたのは、比丘尼の夫≠ニなれる戟(げき)を代々所有してきたからだ。

多聞は自分では鬼を使うことしかしないくせに、村の長を気取って財宝の殆どを独占してきた。でも比丘尼が出奔(しゅっぽん)してからは奴らが鬼を支配する力も弱まった。理由はわからん。昔は多聞に命令されたら鬼は嫌でも服従しなければならなかったが、今はそうでもなくなってきたんだ。

俺たちは大昔から溜め込んできた財宝を村の為に利用してくれるよう多聞に迫った。多聞は村人や鬼を恐れて、最後にはいう事を聞いたよ。その金で道路を舗装したり、村役場を作る事が出来たんだ。

だけど、それは多聞にとって屈辱だったんだろう。どうにか元のように村を自分たちの思い通りにしたいと画策していたらしい。多聞の若いのが村のご老体に比丘尼の伝説や戟のことをしきりと聞いていたそうだ。そして自分たち一族にもう一度力を取り戻すには、比丘尼が必要なんだと気がついた」

「未祥が……必要?」

「そうだ。戟の力を維持するには、比丘尼が生まれ変わり十六になるまでの間に、戟の所有者が比丘尼とくちづけを交わす必要があると聞いた。村の者は比丘尼が再生した事実を知らなかった。
それは多聞も同じだとは思うが、老人の言い伝えを聞いて比丘尼の再生に思い至った。戟の力が弱まり、鬼を使うことが出来なくなったのは、比丘尼が生まれ変わったからだと気づいたんだろう。だから協力してくれる鬼を使って、可畏たちの行方を探し当てたんだ」

「鬼? 多聞に協力する鬼がいるのか?」

その質問を可畏が光に投げかけると、光は目をそらして苦々しい顔をした。

「……出来ればあってほしくなかった。鬼が自分の意思で多聞に協力するなんて。もう少しで村をみんなの手に取り戻せるところだったのに……」

話が見えなくて可畏は光を見つめるしかなかった。確かに光の言うとおり、多聞に支配される鬼たちはその呪縛から逃れたいと思ってきたはずだ。今回の比丘尼の生まれ変わりが多聞の支配とどう関係するのかはっきりとは分からないが、それでも現状打破のチャンスだったろう。光は苦い思いを隠そうとして失敗した顔のまま、言葉を続けた。

「多聞に手を貸したのは羅威(らい)。……可畏の弟だ」