第十二話

「ね、未祥。今日の帰りおうちにお邪魔していい?」

五限目が終わった後の休み時間に、裕生が未祥に聞いた。
「うん、いいよ」と未祥は答えた。

今日は十五歳最後の日で、可畏は何か話があるって言ってたけど、可畏の今日の帰宅予定は家庭教師のバイトがある為午後九時頃だ。話を聞くにしても夜になるだろう。可畏が帰るまで一人だし、裕生がいてくれた方が楽しく過ごせる。

「でもあたし夕飯の準備をしなきゃならないから、その間テレビ見ててくれる?」

未祥は裕生がうちに来るときはいつもそうしてもらっているが、わざわざ断りを入れた。いつも先回りして気を遣うのが未祥の癖でもあった。

「テレビよりネットがいい。HTMLと戦う。パソ貸して貰えると助かるんだけど、ダメ?」

裕生の問いかけに、大丈夫だよ、と答えたら「オレも参加したいな」という声が未祥の後ろから割り込んだ。

「ははぁ、志門。あんたあたしがいるとこで、未祥を押し倒そうとしてるんでしょ?」

未祥が振り返ると、呆れ返った表情で裕生を見る志門がいた。前の席から未祥を振り返る形でおしゃべりをしていた裕生と未祥の横に志門は移動すると、腕を組み目をすがめて裕生を見下ろす。

「そんな風に人を野獣扱いしていいのかな? せっかくHTMLを教えてやろうと思ったのに」
「えっ、ほんと? じゃあついでにCSSも教えてよ。そしたら一切何も言わずに黙って聞いてあげる」
「わかった。その代わり今言った誓いを絶対守れよ。教えている間は、その小うるさい口を開くんじゃない」

志門は裕生に人差し指を突きつけて、約束を確実に取り付ける。未祥はそんな二人を見ていて、本当はこの二人、お似合いなんじゃないかなぁと思う。他の誰と喋るより、志門も裕生も息が合ってテンポのいい会話をしている気がする。

でも以前、裕生に好きな人はいないの? と聞いたら、あたしは恋愛体質じゃないと言っていたのを思い出した。
裕生曰く、両親を見ていると恋愛は結婚を機に終わるものだし、その後の惰性の生活で生み出されるものは何もない。そんなことに人生を振り回されるなら、頑張って絵の勉強をして好きな事に没頭できる仕事に就きたい、と。

未祥はそうやって今後の人生の目標を持てる裕生が凄いとも思ったし、また羨ましくもあった。自分には一人で生きていけるだけの力が足りない、と感じていた。可畏は未祥が十六歳になれば結界は自分で張れるようになると言っていたけど、問題は結界だけじゃない。

ずっと可畏のお父さんと可畏に守られ、包まれ、箱にしまわれるように生きてきた。遊ぶ友達も限定されて、ほとんど家の中だけで生活してきたのだ。今更どうやって沢山の人と渡り合い、あらゆる物事に対処していけばいいのか、未祥には検討もつかなかった。将来上手くどこかの会社に就職できたにしても、自分が人様の役に立てる自信は皆無に近い。

「……ホントはさ、ちょっと未祥ちゃんが心配なんだ。朝のあの変な視線、あれ以来感じた?」

志門が心配そうな顔で未祥に聞いた。未祥は普段強引な誘いをしない志門が、いきなり家まで行きたいと言った事にそれで納得できた。家に訪れることで、帰り道のボディーガードを買って出てくれたのだ。

「んとね、体育の時間、外で少し感じた。その他は……ぼんやりかな」
「そうか。オレも同じような感じだよ。外に出ると強くなるということは、学校内の人間が見ているんじゃないって事だな。外部から来ていて、入れない……」

結界、という言葉を小さく志門がつぶやいた。未祥はドキっとする。可畏に毎朝張ってもらう結界の事が志門には分かるのだろうか。

未祥は不思議に思ったが、志門は囁くように言っただけなので本当に「結界」と言ったのかどうか、確信は出来なかった。裕生も少し考え込むような顔をしていたが、急に納得したようにニッコリ笑って言った。

「良かったね、未祥。もし変な奴がいきなり襲いかかってきたとしても志門が身を呈して犠牲になってくれるって」
「そう簡単にやられるか。オレは躰道(たいどう)五段だぞ」

ふん、と顎を上げて志門が言う。
裕生も未祥も躰道なるものがなんなのか分からず戸惑った。でも裕生は、偉そうに言う志門と張り合いたくなったらしく、自分も腕を組んで顎を上げた。

「ああそう。あたしは毛筆四段だよ」
「毛筆だと? どーやって筆で戦うつもりだ」」
「ペンは剣よりも強し」
「未祥ちゃん、そういう訳で一緒に帰ろうね。絶対この筆女と先に帰ったりしちゃダメだよ」

志門は裕生の言葉を無視して未祥に言うと、席についた。もうすぐ六限目が始まるので未祥も教科書の準備をする。裕生も一度前を向いたが、そうだ、と言ってまた未祥を振り返った。

「母さんから聞いたんだけどさ、最近このあたりの小学生で貧血が流行ってる話、知ってる?」