第十話

「未祥ちゃんも感じる?」
志門はまだ、手で首の後ろをさすりながら未祥に聞いた。うん、と未祥が頷く。

「あたしも分かった。ビリビリする感じ。見られてるって思ったの」
言うと志門は少し眉を上げたが、またツイと周りを見渡しさりげなく足を踏み出した。

「とにかく中に入ろう。今は始業までの時間がない」

志門の後に続いて昇降口から下駄箱の前に来た未祥は、視線の圧迫が薄れたのが分かった。誰が見ているのかわからないが、そいつは外から見張っているようだ。可畏が恐れている追手だろうか……。

四年前、何者かに切り裂かれて死んだ可畏の父親を思い出だす。仕事場から帰る途中の道端で、首を切られて息も絶え絶えの中、可畏を携帯電話で呼びつけた。可畏はその時父の命令で、未祥を連れて取るものもとりあえず夜逃げするように住んでいた家を出た。可畏が父の最期の言葉を聞いたあと脈を確認したら、鼓動は感じられなかったという。

可畏の父、覚羅聡の遺体は霧散して消えた。鬼の血を引く者と多聞の一族は、死んだ後身体を残さない。それが人ならぬものの末後なのかもしれないが、未祥は悲しみと儚さを感じて胸が痛くなる。刀利村では鬼の墓も建てられるが、聡おじさんにはお墓もない。その為未祥は聡おじさんを思い出して寂しくなると、空に向かって話しかけるのだった。

「視線を感じる? 何それ、志門と未祥は霊感でもあんの?」

未祥と志門の様子がおかしいので、裕生が教室まで廊下を歩きがてら二人に理由をきいた。 二人が妙な視線を感じた話をしたら、真剣な顔で裕生が問い返してきた。

未祥は裕生の、こういう非現実的な話でも真面目に受け止めてくれる性格が好きだった。決して馬鹿にしたり茶化したりしない。もちろん言っている相手がふざけているなら合わせるが、今の二人の様子を見て、自分をかつごうとしているのではない、と判断したようだ。

「実はオレ、ちょっと幽霊とか見ちゃうタイプだけどね。未祥ちゃんは?」
志門はさっきの嫌な視線の余韻を振り払うように、わざと明るい調子で話した。

「うーん、あたしはそうでもない。今まではそういうのなかったな。でもさっきはすごく変な感じがしたの。志門くんも感じたみたいでビックリした」
「気のせいならいいけどね。もしかしたら志門が捨てた前の彼女とかが見張ってたりして」と裕生が言う。

「人を勝手にひどい男にすんな」

不愉快そうに志門が言ったところで教室についた。もう少しで担任の教師が来る時間なので、三人はそれぞれ自分の席に着く。未祥は自分の席に座りながら、裕生ちゃんの予測は違う、と思っていた。理由はわからないが、未祥は確信していた。

あの悪意ある視線は、自分に向けられたものだということを。






「覚羅くん、今夜一緒に飲みに行かない?」

学食で日替わり定食を食べ終えた可畏に、同じ史学部の女子が声を掛けた。可畏は声の主を振り返り、ザッと全身をチェックして嗅覚に意識を集中した。

胸はパッド、ウエストはまぁまぁ、腰の張りは足りない、感度は今一つか……。

女は可畏に自分の女らしさをアピールしようと、軽く腰をくねらせる。可畏はとりあえずおざなりな笑みを返して女のピンク色の口紅を見た。名前は覚えていない女だった。

「もしかして、もう誰かと予定入ってる?」

可畏の一方的な診断など気づきもせずに、ヒラヒラのミニスカートを履いた女が甘ったるい声を出して可畏の向かいのソファに座る。ムワッと可畏の鼻にあの香りが届いた。 いわゆる、いつでもオーケー≠フ匂い。

「覚羅くんって誘いには乗ってくれるのに結局何もしないって聞いたけど……ホントなの?」

学食のテーブルには空になった定食の皿が乗せられたプラスチックのトレーが置いてある。その横に何気なく出していた可畏の手に、女がそろりと指を這わせる。可畏は手をどけなかった。
今まで誘ったり、誘われたりした女とは大抵寝ている可畏だが、家に帰ると女は全て忘れるので、どうやら身持ちがいいと思われているらしい。

男で身持ちがいいのは、いいことなのか、情けない事なのか、可畏には良く分からない。でもあまりに節操がないと評判になると、逆に女が寄り付かなくなるだろう、とは思っていた。

女は──例えどんな女であれ、白馬の王子様を待っている。

「あたしたち女子の間では、覚羅くんには本当に好きな女の子がいて、その子のために誘いに乗っても最後までしないって噂があるの。そういうのって悔しいけど素敵だと思うわ」

可畏はその女の意見が、真実とは異なる部分があったにしても的を射ていることに驚いた。誘われてすぐついてくる女には嫌悪感を抱く事が多い可畏だが、だからといって彼女たちがアノことしか考えてない訳ではないのだな、という事が今の発言で分かる。

自分には本命の女の子がいるということを、あからさまに外に出しているつもりはないが、そういうことはしばしでも一緒にいるうちに伝わってしまうのだろうか。

女の勘はあなどれない。
それだけ、彼女たちは純粋な心を隠し持っているのかもしれない。
可畏は今まで抱いてきた女を卑下してきたことに、申し訳なさを感じた。

でも、やはりなびきやすい女性に好感を持てない事実は変えられないが。