第九話

「おはよう、裕生ちゃん。どうしたの? 目の下クマ出来てるよ」

ホッとしながら未祥は言った。裕生になら志門との会話を聞かれても大丈夫だ。
鬼や結界など特殊な事情以外のことは、未祥のほとんど全ての事を裕生は知っている。志門に未祥が告白されたことも例外ではない。

「どーせまた、寝ないで絵でも描いてたんだろ」

呆れた様に志門が言った。
裕生は絵が得意で、水彩、油彩、イラストとなんでもやるが、夢中になると時間を忘れる癖がある。性格も我が道を行くタイプなので、テレビとネット、おしゃれと男の子の話しかしないクラスの女子からは明らかに浮いている。そのせいか大人しい未祥と気が合って、学校ではいつも一緒に行動していた。

「ブー、違います。今回はHTMLと朝まで格闘してた。あれって英語なんだよね。もっとちゃんと英語を勉強しておけば良かったわ」
「HTML? 何だよ、ホームページでも作んのか?」

未祥はHTMLが何なのか全く分からなかったが、志門には理解できたらしい。未祥が首をかしげていると、「HTMLはホームページとか作成するときに必要な言語だよ」と志門が教えてくれた。

「うん。自分で描いた絵をネット上で公開しようと思ってさ。でもいきなり躓いた」
「わーすごい。裕生ちゃんネットデビューするんだ」

未祥は感心して手を叩いた。未祥もネットで色々検索するが、自分で何か作ってみようと思ったことはない。

「すごくもないよ。ホームページなんか作ったって、見てもらえるようになるのは時間がかかるみたいだし。でもやってみたかったんだ」
「そっかぁ……。上手くいくといいね」

言いながら未祥は、そんな風に色々な事に挑戦する裕生を本当に尊敬した。自分はいつも人に頼り、寄りかかって生きている気がする。心に強く何かを決めて、その事に向かって突き進んでいこうとする意志が足りないのだ。

「今、テンプレートに使うイラスト描こうと思ってるんだ。そこでカッコイイ志門くん。前から頼んでるモデルをやってよ」

裕生が志門に向かって言うと、志門は露骨に嫌な顔をした。

「悪いけどムリ。だってお前、オレを脱がせる気だろ?」
「あったりまえじゃん。全裸でお願いします」
「アホかッ。何故にパンツを脱がす?」
「なんとなく。その方が思い切りがいいかなって」
「お前、ただの変態だろ」

両腕で自分を抱きしめながら志門が言う。未祥はプッと吹き出した。二人の会話を聞いていると、いつも未祥は笑ってしまう。家にいて、可畏のそばにいると安心してゆったりできるが、こうして学校の友達とおしゃべりするのも刺激があっていい。未祥は大抵いつも聞き役に回るが、それが嫌だと思ったことは一度もなかった。彼らの会話を聞いていると、元気が湧いてくるのだ。

「じゃあ、これならどう? 女の子との絡みを描きたいから、女のモデルは未祥。全裸で抱き合う」
「それ受けた!」

即答で志門が引き受ける。未祥は裕生の勝手な提案に頭がついていけなくて目を白黒させた。裕生は冗談で言っているのだと分かっていたが、服を脱いで志門と抱き合うところを想像してしまって、頬が熱くなるのを止められなかった。

「もぉ、裕生ちゃんってば勝手なこと言って。あたしはやらないからね」

未祥は赤くなったのは怒っているからだと思ってもらいたくて、ワザと肩をいからせ腕を組んだ。
例え想像でも、可畏以外の男との抱擁を思い浮かべてしまった自分が恥ずかしい。志門は好きだが、友人としての好意を超えてはいない。

あたしが欲しいのは可畏だけ。体の芯が痺れるように熱く潤うのは、可畏に抱かれたいと思う時だけ……。

「あ〜あ、残念。という事で、オレをモデルにするのも諦めてくれ」

志門は軽い調子で冗談の続きのように言ったが、その瞳に本気の落胆が見えたのは未祥の気のせいではなかった。未祥は志門の交際の申し込みを断った時、理由を聞かれて「まだお付き合いは早いから」と答えた。でもあの時志門は、未祥には心に思う相手がいると、見抜いていたのかもしれない。

「ごちゃごちゃ御託を並べてないでヌードくらい晒しなさいよ。それだけ綺麗な顔と体を持ってるんだから晒す義務があんのよ。あんたには」
「訳わからん理屈こねんなッ」

裕生の強引な要求に志門が反発で答えた時、未祥はフッと空気が歪んだ感じがした。
話しながら昇降口の前まで来ていた。思わず振り返りあたりを見渡す。ビリビリと体にまといつくような圧迫感が漂っている。

この感覚はなんだろう。
そうだ……見られている♀エじ。

でもその視線の主を見つけようとしても、視界にはいつもの登校風景しか映らなかった。不審な人物はいない。ホ、と息をはいて友人の後を追いかけようと向きを変えると、志門にぶつかりそうになった。

体当たりしなくてよかったと志門を見上げると、彼も未祥と同じように辺りを見渡している。首の後ろに右手を当てて、険しい顔で遠くを睨んでいた。

「なんか……ヤな視線を感じる。首が痛え」

未祥は驚き、改めて志門を見た。志門も自分と同じ感覚を味わっている。
もしかして他の人も? と思って裕生を見たが、彼女は眠そうな顔で下駄箱に寄りかかり、脇の下を掻いているだけだった。