第五話

未祥は自分の頬が赤く染まるのを感じた。
たとえ遠まわしとはいえ、可畏に好きだといってしまった。

可畏がどう思うか、どう反応するか知りたい気持ちと、もしかして無視されるのではないか、最悪の場合拒絶されるのではないか、という思いがせめぎ合い、結局反応を見る事が出来ず、立ちあがった。

「つっ……付き合うのはしないけど、映画くらいは行ってみたいと思ったの。ダメならいいから」

ガチャガチャと派手な音を立てて、食器を片付ける。早くお弁当の準備をしないと登校時間に間に合わない。なるべくそっちの思考に重点をおいて、可畏が烏川志門とのデートを承諾するかしないかを追及する気持ちも、余所に追い払った。

未祥はどのみち本当に烏川志門を好きになったとしても、自分にまともな恋愛が出来るとは思ってなかった。

可畏の結界がなくては普通に学校に行くことも出来ないのだ。この先ずっと可畏と共に過ごして、可畏が沢山の女達とHするのを息を殺して耐えて、可畏が誰かと結婚したとしても、一緒に住まわせてもらって迷惑を掛け続けなければならない。

滲んできた涙を見られないように、急いでシンクに食器を運ぶ。水道の水を出そうと栓に手を掛けた時、暖かく力強い腕が未祥の体を後ろから羽交い絞めにした。 未祥は自分に、何が起きているのか分からなかった。

筋肉質な前腕が顎の下から体を覆い、筋張った大きな手が未祥の細い肩をしっかり包んでいる。未祥は自分の体に回された可畏の腕が、手が、小刻みに震えているのが分かった。右の耳に、可畏の熱い息が掛かる。でもその息遣いは、甘い吐息というより深い苦悩を感じさせるため息だった。

「俺が……未祥を縛り付けてるんだ。俺の存在が未祥を苦しめてる。もっと俺に力があれば未祥を自由にしてやれるのに……」

可畏は未祥の頭の上に顔を伏せて、胸元に未祥を引き寄せる。耳朶を打つ可畏の言葉は切なく響いてくるのに、未祥は体の中心が痺れるように熱くなるのが分かった。

可畏は今まで抱いた女にも、こんな風に耳元で甘い言葉を囁いたのだろうか。
今の言葉が愛の告白ならよかったのに。きつく抱かれて「愛してる」と言われたら、どんなに……。

「そんなことないよ。だってあたしは可畏がいないと外も歩けないもの。あたしこそ、可畏のお荷物なんじゃないかってずっと思ってた。ワガママ言ってごめんなさい。烏川くんには行けないって言うからね」

未祥は可畏の腕に自分の手を掛けると、キュッとそこを掴んだ。小さな頃からずっとそばにあった可畏の匂い。可畏が六歳の時、未祥は可畏の父親に引き取られた。刀利村で生まれてすぐ両親を亡くし、引き取り手がないので覚羅家の当主である可畏の父、覚羅聡(さとし)が預かることになったという。

覚羅聡は妻と離婚してから村を出た。鉱石の採掘と、ほんの少しだけ採れる作物の収入だけで細々と成り立っている刀利村は人口も少なく、村人たちの付き合いも濃密だ。離婚の理由について色々詮索されるのが嫌で村を出てきたんだよ、と可畏の父は未祥に語ったことがある。

優しかった聡小父さんも可畏と同じ匂いがした。干してフカフカになったお布団みたいな匂い。太陽の匂い。これが鬼の血が流れる可畏の一族の匂いなのだろうか……。

「そんなんじゃないんだ。未祥は本当は──俺なんかが触れていい存在じゃない。手放したくなくて我が儘を通してきたのは俺の方かもしれないんだ。でも十六になったらそれも終わるから……」

未祥は驚いて可畏の腕の中で身をよじった。可畏の腕の中で体の向きを変える。台所のシンクとテーブルの間の狭い空間で、未祥は可畏の胸に両手をつけて彼を見上げた。

「どういうことなの? 十六になると終わるって……?」

「未祥はもう……俺がやらなくても自分で結界を作れる。刀利の比丘尼(びくに)は十六歳で成人≠オて宝珠の力を完全にコントロール出来るようになるんだ。少なくとも今まではそうだったと聞いた」

可畏はその言葉を苦いものを吐き出すように未祥に伝えた。未祥を見下ろす濃い灰色の瞳には、深い憂いと悲しみがありありと見えた。 可畏の言った事が理解できなくて、未祥は呆然と可畏を見返した。肩に置かれた可畏の両手にゆっくり力が込められる。

「詳しい説明は夜にするよ。本当は今日の陽が暮れるまで、今まで通り過ごしたかったから言うつもりはなかったんだ。気になるだろうけど、今日は十五歳最後の日をいつも通り送って欲しい」

何か言いたいのに、何の言葉も出てこない未祥の顔を、一度眩しそうに目を細めて見つめると、可畏は未祥の肩から手を離した。未祥は手のひらを可畏の胸に当てたまま、動くことが出来なかった。

トウリ、ビクニ、ホウシュ……単語としては分かるのに、その真実は予測することすら困難だった。

動けない未祥の頬に可畏の指先がそっと触れた。 未祥はその乾いた感触に、我に返って可畏を見上げる。可畏の手が開いて、未祥の小さな頬を包んだ。

未祥は息を止めて、可畏の次の行動を待った。