第三話

「気にするな。きっと海原という子は未祥の関心を買いたいだけだろう。でも嫌だと思ったら、少しくらいハッキリ態度に出したほうがいいと思うよ」

可畏はしがみついてくる未祥の後頭部を大きな手で軽く掴むように覆うと、もう片方の手で背中をトントンと叩いた。甘える妹を優しく励ますお兄さん、という態度だ。未祥の胸から不満と焦燥が湧き上がる。

こんなものじゃない、あたしが可畏から欲しいのは。
もっと強く、苦しいくらいの……

「さぁ食事にしよう。今日の目玉焼きは焦げてないぞ。潰れたけど」

可畏はそう言うと、未祥の腰に手を当てて自分から離し、未祥が立ち上がれるように促した。 仕方なく床に足を置き、可畏の膝から降りる。 この瞬間が嫌い、と未祥は思う。特に冬はイヤ。 お尻から可畏のぬくもりが逃げていくのが、ありありと感じられるから。

可畏はもう一度未祥の頭を掴んでから、台所に向かった。未祥は可畏の大きな背中を追いかけながら髪を二つに分けて三つ編みにした。 結界が効いている間、耳の小石は他人の目には確認できなくなる。これでピアスをつけて学校に来た、と風紀委員に見咎められることもなくなった。

でもこの結界はせいぜい二十四時間しか有効じゃない。羅衆一であろう可畏の力を使っても、未祥の輝き≠消すことは不可能なのだ。それが可畏の喜びでもあり、また一番の悩みの種でもある。

狭い台所の二人用の折りたたみテーブルの上には、トーストとレタスとツナのサラダ、黄身が破れて横に流れた目玉焼きが用意されていた。成績優秀でスポーツ万能、大学でも歴史学者としての将来を期待されている可畏も、料理だけは自在に出来ないらしい。縁が丸焦げになっていない目玉焼きを作れるようになったのは、それほど前の事ではない。

料理は未祥の担当だが、弁当も作る都合があるため、朝食だけは可畏が用意してくれるようになった。 未祥としては朝食も弁当も同時進行で進めた方がやりやすかったが、手伝いたいという可畏の気持ちを無駄にしたくなかった。

一緒に台所に立つとあまりに可畏が邪魔なので、最近は少し早めに起きて朝食を作る方がお互いのためだと、可畏が自覚して実行している。

「目玉焼きが潰れたら、目玉とは呼べないよな。なんになるんだろう」

可畏が自分の作品をうんざりした目で見ながら言う。焦がさなかったものの、卵の殻が混入していないかどうかの自信はない。

「目潰し焼きかな」

未祥が椅子に腰掛けてそう言うと、可畏がクッと息を吐いて笑った。 いつも真っ直ぐ人を見つめる可畏は、時にある種の恐怖を周りの人間に与えるが、笑うと途端に少年のようになる。

虹彩が透けて見える薄い灰色の瞳は、一般的な東洋人の瞳の色と違うため、異国の血が混じっているのでは? と聞かれたことが何度もあるらしい。そんな時は、祖先に白ロシア系の人がいたらしいと適当にごまかしている。独特の濃い青灰色の強い髪も生粋の日本人には見えないからだ。

村という、狭い世界の中だけで生きていけなくなった現代では、嘘も方便だと可畏の父は言っていた。 増して追われる身となれば、どんな嘘でも使わなければならない。父の逃避行から始まったこの旅も、可畏の代に託され、こんなところまで来てしまった。

可畏は潰れた目玉焼きを口に運ぶ未祥を見て、もうこの生活にも終止符を打つべき時が来た、と考える。

十六歳になる未祥。美しく、愛らしくみんなのもの≠ナある未祥……。

「誕生日プレゼントは何がいい?」

自らの憂慮を振り払い、可畏は未祥に向かって聞いた。可畏の問いに、未祥は一瞬箸の動きを止めた。

プレゼント……。
一番欲しいものを伝えたら、可畏はあたしを軽蔑するかもしれない。

去年までの未祥は「でっかいテディベアが欲しい」とか、無邪気なおねだりをしていた。 可畏が十八歳の春、ずっと未祥の面倒を見てくれていた可畏の実父が急逝した。たまたま大学の近くにワンルームを借りて入居するところだった可畏が、未祥を連れて実家からそこに逃げた。

村から出ない世間知らずの夜衆(やしゅう)の追手は、仲間を見分ける鬼の嗅覚だけで各地を捜索し、十三年の時を経て可畏の父を見つけ、殺した。実家から遠方の大学に入学したため、ワンルームまで探し当てる裁量が追手にはなかったようで、可畏と未祥は見つからずに済んだ。

でも念のためその後引っ越した。今のアパートはそことも違う三軒目だ。年に一度は引越しをしているので、大きな荷物はなるべく置きたくない。だから未祥のお願いしたテディベアは却下され、代わりにキラキラ輝くクマのアクセサリーストラップに取って代わった。クリスタルで作られているそれは、大きなぬいぐるみと同じくらい値が張るものだ。

質素な生活をしていても、覚羅可畏には一生かけても遣い切れない程の資産があった。