☆prologue☆   〜Liebestraum〜


その場所には、愛の館があるという。
そこで愛を誓い、互いを結び合った者達は、永遠の愛を手に入れる。

揺るがない愛。離れない愛。壊れない愛。
死してなお、失われることのない愛。

でもそこは秘密の場所。
誰もが知り得る場所ではない。
人生に愛を求め、愛を知り、愛を諦めなかった者だけがそこに着く。

愛する人の手を、離さない者だけが行ける場所……。


第一話


かすかな衣擦れの音と、途切れがちな荒い息がやっと聞こえなくなった。
薄暗い部屋のベッド中で一人、耳を塞いでいた未祥(みひろ)は、小さく息を吐いた。羽毛布団を耳の上まで引っ張り上げているから、自分の吐き出した息で頬が温かくなる。

でも布団の中に避難して、どんなに「聴かない」為の努力をしても、アパートの薄い壁の向こうから聞こえてくる可畏(かい)の息遣いと女の甘えた呻き声は未祥の耳に届いてしまう。

自分の頬が熱いのは、ずっとこうして布団を被っているから。今までそう自分自身に言い聞かせてきた。でも最近の未祥は、心にも体にも言い訳が出来なくなってきている事に気が付いていた。

可畏と、その時ごとに違う女とのアレが始まると、心臓は早鐘のようなリズムを刻み始め、脚の間が熱くなってくる。そんな時トイレに行くと、恥ずかしくなるくらい下着が濡れていたりするからだ。

可畏はどんな風に女にキスするんだろう。そしてどんな風に触れて、どんな風に一つになるんだろう……。その一つ一つを、つい克明に想像してしまう。未祥は明日、十六歳になる。男女の秘め事に関する基本的な知識は、既に高校の友達から事細かに聞いて知っていた。

可畏はまだあたしの事、幼い子供か何かだと思ってるんだ、と未祥は思う。実際、未祥と二人で住むこの安アパートにも平気で女を連れてくるのがその証拠だ。安普請で隣の音も耳を澄ませば結構聞こえると分かっているのに気を使わないのは、自分がコトに及んでいる間、未祥は深く眠っていると信じて疑わないからだ。

深夜二時は、お子様はぐっすり寝ていてしかるべき。
可畏はそう思っているのかもしれないけど、あんな声を聞かされる方の身にもなってほしい。特に最後の瞬間の物音と嬌声は、冬眠してる熊だって起きるわよ、と言いたくなるほどスゴイ。

カチャリ、と玄関のドアが閉まる音がした。今日の女の人、どこの誰だか知らないけどちゃんと帰れるかな。まぁ、可畏がしっかり暗示をかけてるから、今まで自分が誰と何をしていたのかなんて家に付いた瞬間忘れちゃうんだろうけど。

問題は失血したことで貧血を起こさないかどうかだ。道の途中で倒れてしまって誰にも気づいてもらえなかったら、もう一月も半ばだし凍死しちゃうかもしれないな……。

余計な事をつらつら考えていたせいか、急に布団の暖かさが心地よく感じて浅い眠りに落ちそうになる。可畏が部屋に入ってくるのがもう少し遅かったら、気付かずに完全な眠りに落ちていたかもしれない。

突然額に手を置かれて、未祥はビクリと体を震わせた。可畏が自分の部屋に入って来たのはぼやけた意識の中でも分かったけど、近づいてくる気配は全く感じなかった。自分の気配を完全に消せる。それが鬼である可畏の特技でもある。

未祥は最初、知らんぷりしようと思ったが、さっきまで女の体を撫でくりまわしていた可畏の手が、自分の額に置かれているのがどうしても耐えられなかった。寝返りを打って可畏の手から逃れると、「ん……。あれ……可畏?」と眠そうな声で問いかける。

「悪い、起こして」

答えた可畏の声は、冷気の沁みる暗い部屋に低く響いた。未祥はやっと訪れた眠気を払って目を開ける。廊下の灯りが開けられたドアから暗い部屋に差し込んで、可畏の姿は逆光に照らされ表情は判別できない。可畏が自分のベッドの横にしゃがんでいるのだけは確認できた。

「……どしたの?」

未祥は戸惑いを覚えて可畏に聞いた。可畏がこうして夜中に未祥の部屋に入ってくることは、普段ない。特に女を抱いて血を吸った後は、満足して深い眠りについてしまうはずだから。

「起こすつもりじゃなかったんだ。寝てると思ってた。ただ……十六になる前の未祥の寝顔が見たかっただけだ。もう行くよ。おやすみ」

それだけ言うと、可畏はするりと立ち上がり、音もなく部屋から出て行った。羅衆(らしゅう)の長兄の血を引く可畏の動きは、その大きな体に似合わず重さを全く感じさせない。部屋のドアがゆっくり閉められ、廊下の灯りは次第に細くなり、最後にはドアの向こうに吸い込まれて消えた。また闇の中に戻ったが、未祥の頭は冴えてしまった。

十六になる前のあたしの寝顔がみたいって……変な可畏。確かに今日一日であたしの十五歳は終わるけど、十六歳になったからってすぐに寝顔が変わるとは思えない。

でも……と未祥はある思いが頭をかすめるのを止められなかった。可畏はあたしの誕生日が近づくにつれて塞ぎがちになった。カレンダーを見てはため息をつく。

女を連れ込む回数も最近増えた気がする。前は二週間に一度くらい補給≠キればあたしに結界を張る事にもそれほど体力を消耗しないで済んだのに、ここ二ヶ月ほどは週二、三回も「吸血の為のセックス」をしてパワーを養っている。お陰でこっちも気が気じゃない夜が増えた。

未祥は目を閉じると、眠る為の努力をした。可畏のお陰で高校に通えるのだから、成績を落とさない為にも授業中に居眠りしたくない。

さっきまでの隣の部屋からのピンクな圧迫感と、可畏の乾いた手の感触を頭から追い出すために、未祥は羊を数え始めた。