恋する死神

第二話

彼は感情のない顔であたしを見返していた。冷たい視線……。あたしは勇気を出して聞いてみた。

「あの……貴方はダレですか?」

「この状況で俺が何なのか分からないのか。お前、相当頭が悪いな」

あたしはムカッとして彼を見上げた。見た目は綺麗だけど、性格はキツそうだわ。

彼は一つため息をつくと、「俺はお前の案内人だ」と言った。あたしは自分の手に目をやった。そこには必死で握りしめていたはずの黒い玉がなかった。

「俺は不幸にもお前に召喚されて、何の得にもならない道案内をする事になった死神のエルだ」

「死神!?」

驚きのあまりまた大声を出してしまった。そしてもう一度彼を見る。そうか……何かで読んだことがある。死神は、絶世の美青年の姿をしてるって。でもあたしはふと、ある事を思い出した。

死神……で、エル……?

「あのー、死神のエルって……もしかして国民的某人気漫画、ノートに名前を書かれると死ぬっていう例のアレから来てる?」

あたしがそういうとエルはますます冷たさを増した目であたしを見る。

「あの〝L〟は死神じゃない。探偵だろう。死神は違う名前だ。もちろん俺は例のソレとは全く関係ない」

「ふうん、そうかー。……って、死神も漫画読むの?」

あたしがそう言うと、エルは少し慌てた様子で横を向いた。「たっ、たまたま狩りの相手が漫画喫茶で読んでただけだ」と答える。

エルの青白い頬に少し朱が差して、今までの冷たい印象が急激に薄れた。なんか可愛い。思ったより馴染めそう。なんと言っても超イケメンだし。

「とにかく、早めに終わらせよう。お前は〝珠玉〟を集めなければならない理由についてどこまで知っている?」

エルは照れを隠そうとしたのか、外したフードをまたかぶり、目深に下げた。あたしは彼の綺麗な顔が見えなくなった事がちょっと残念だったけど、とりあえず質問に答えた。

「〝珠玉〟は四神である四霊獣に与えるエサだと聞いたわ。うちの場合は朱雀ね。〝弦〟と呼ばれる魔界に落ちている小さな金の塊が〝珠玉〟だって教わったの。この金を食べさせる事で、魔界から現世へ飛び出して来ようとする魔物や怪物を、朱雀が戸口で押し止めるみたい。通常四霊獣は年に一度一月一日に〝珠玉〟を与えられる。

でも時々大物が戸口に近づくと、抑えきれないからその都度〝珠玉〟を食べさせて霊獣を強化させるって。そうして〝珠玉〟が減ってくると、霊獣を世話する一族の血筋の者が〝弦〟に入って金を集めなければならない。〝珠玉〟は五十個もあれば四半世紀は持つから、数十年に一度血族の若い者が金収集の任に当たると聞かされたわ」

エルは杖の先端で自分の頭をゴリゴリかくと、面倒そうに言った。

「……まぁ大体は合ってるな。あんたはこれから、塔に向かって歩きながら金を拾い集めるんだ。魔界はヤバイ奴が沢山いる。だから俺はあんたを塔に無事到着させる為に呼び出された案内人だ。血の契約によって俺は今、あんたに使役される立場にある。

でも俺は苦労したくない。怪我するのもごめんだ。よってあんたに命の危険がない限り、助けないことにする。基本、自分の身は自分で守ってくれ。その為には最初のマダム・シャトーの所で魔物を寄せ付けない体になることだな」

あたしはいきなりエルに突っぱねられたことで、ショックの冷や汗をかいた。でも一つ気になることがあって、つい本題と違うことを口走ってしまった。

「さっきからアナタあたしのこと〝あんた〟とか〝お前〟って呼んでるけど、かなり失礼よ、それ。あたしには朱雀二葉っていう立派な名前があるの。せめて名前で呼んでよ。仮にも人間の命を奪うことで生活してるんでしょ。もっとヒト族に対して敬意を払って欲しいわ」

エルはあたしの批判が自分の予測と違っていたのか、かろうじて見える口元を少し引きつらせた。あたしが腰に両手を当ててプリプリしながらエルを見上げると、彼はフードをますます深く被ってついには口元まで隠し、「分かった。そうしよう」と言った。

あたしは憤りを抱えたまま、青銅製の半月ドアの取手を握った。「行くわよ。付いて来て」と後ろのエルに声を掛けてドアを開ける。後ろから軽いため息が聞こえたけど気にしない。とにかく旅を始めなくちゃ終わらないもの。

ドアを開けてまず見えたのは、ショボついた草の生えた荒地だった。起伏のないだだっ広い大地に、一本の道が続いている。草の生えていない幅五メートル程の道。

魔界というから暗いのかと思っていたのに、意外にも綺麗な青空が広がっている。道をたどった遠くの空に、細い煙が上がってるのが見えた。「あれなに?  人がいるの?」とあたしはエルに聞いた。

「あそこにいるのが人と呼べるなら、いる、と答えるべきだろう。あの場所はちょっとした街だ。とりあえず行ってみよう」

あたしは歩き出したけど、延々続く変わらない風景にすぐ飽きてしまった。煙が見える場所まで結構ありそう。自転車とか、車とかないのかしら。

「ねぇエル。あそこまで割と距離あるよね。あなた空飛ぶ雲とか出せないの? ひとっ飛びで街まで行けるように」

エルはフードの奥でギラっと目を光らせた。「そんなものはない」と答える。

「えー、いきなり頼りにならない。出し惜しみじゃないよね? ホントは金色に光る雲を隠してたりして」

「あるわけないだろ。孫悟空じゃあるまいし、きん斗雲は専門外だ」

「でも棒はカブってるじゃん」

「これは如意棒じゃない。俺の仕事道具を馬鹿にする気か!」

ついには声を荒げてエルは言った。わー、怖いんだからもう。短気な男はモテないわよ。

あたしはしばらく大人しく歩いた。広い荒野には呑気な風が吹いている。カサカサと音を立ててタンブルウィードが転がってきた。道端の草に目をやると、そこにキラリと何かが反射するのが見えた。あたしは草に近づいた。水気のない半分しおれた草の陰に、金色の小石が落ちていた。

「あっ、見っけ!」

あたしは石を拾い上げ、エルに向かって掲げた。

「ね、これって珠玉?」

あたしが聞くと、エルはフードを手で少しだけ持ち上げた。「そうだ」とだけ答える。あたしはいそいそと珠玉を背負っていたリュックに仕舞った。早速一個、発見したぞ。この調子だとあっという間に五十個位行くかも。リュックを背負い直してまた足を進めようとした時、前方に黒い影が見えた。

そいつは犬のような見た目だった。全体の毛が黒く、犬というより子牛くらいの大きさがある。低く呻きながら口を開け、鋭い牙を剥き出している。牙の間からはヨダレがぼたぼた地面に落ちていた。

「きん……きん……きん……きん……」とその犬が呻き声に交えて喋っているのが聞こえた。あたしは急いでエルの横に走った。エルは片手に杖を持ったまま、動く様子はない。

「エ……エ……エル! あの犬……喋ってる」

あたしの訴えにエルは、「気にするのはソコか」とつぶやいた。そして「頑張ってやっつけろよ」と付け足す。

「な、なんで!? 守ってくれないの?」

「鎌の刃を汚したくない」

エルの答えに、鎌なんてどこにあるの? と聞き返そうとしたら犬が飛びかかってきた。あたしとエルは同時に左右に別れて飛び退く。今まであたしが立っていた場所に犬が着地する。お願い、エルの方に行って、と願ったのにそいつはあたしに向かってまた牙をむいた。

「魔界の生き物は落ちている金を認識する力がない。人間が金を手にした時だけその存在が分かるんだ。金を食べると魔力が倍増する。だから魔界を旅する金を持つ人間は常に魔物から付け狙われる事になる」

エルは冷静な声で説明してくれたけど、自分は道の端に立って助けてくれようとはしない。犬型魔物は獰猛な唸り声を響かせながら、あたしに向かって突進してくる。

あたしは太ももに革バンドで留めておいた小太刀を引き抜いた。犬があたしの体スレスレの場所に近づいた瞬間、小太刀を犬の首筋に突き刺す。犬がドッと横倒しになって倒れた。この小太刀はお父さんがご神水で清めてくれてるから、普通の刃物より霊的な力が強いみたい。

「ほう、なかなかやるな。この調子で全部の魔物を倒してくれ。そうすれば俺は道案内をするだけで済む」

あたしは肩で息をしながら、エルを睨みつけた。

「もうちょっと職務に対して真摯な態度を取れないの!? せめて助太刀くらいしてくれてもいいじゃない」

エルはフードを後ろにずらして、青白い顔を覗かせた。黒曜石の瞳は真っ直ぐあたしを見つめてくる。その瞳には気怠さと憂いと、何故か透き通る様な哀惜の情が見えた。あたしは息を詰めてエルを見た。

「俺はおま……二葉を塔に送り届ける役目を終えたら、魔の世界から消滅する。それが案内人に選ばれた者の定めだ。俺にとって二葉は疫病神みたいなものだ。積極的に助けたくなる訳がないだろう」

エルの告白はあたしの胸を貫いた。そんな……案内人は最後に消える運命しか残ってないの? それなのにその元凶となる相手を塔まで送り届けなきゃならないなんて……。なんて残酷な使命。

あたしはエルに何と言っていいか分からなくなって、下を向いた。自分でも理由が見つからないけど、涙が溢れてきた。エルは人間じゃないけど、人の命を奪う死神だけど、それでも目の前にいる存在が消えてなくなると思うと胸が痛かった。

「──変な女だな。二葉は」

低い声でエルがつぶやく。でもその声はさっきよりずっと柔らかい感じがした。

「だって──消えちゃうなんてひどい。それって死ぬってことなんでしょ?」

「人間界で言う〝死〟という概念からすると少し違うな。案内人は役目を終えると浄化される。白の案内人はより高位の座に付き、黄の案内人は天界に召し上げられ、黒の案内人は魂が救われるそうだ。

要はいつまでも魔界を彷徨わなくて済むという事さ。魔界に巣食う者は浮かばれない人間の魂の成れの果てだからな。 案内人に選ばれる事で永遠の彷徨から解放される」

あたしはそれを聞いてちょっとホッとした。でもなんでエルは魂の浄化を嫌がるのだろう。「エルは救われたくないの?」と質問してみた。

「俺は……この仕事が好きなんだ。死神だけは霊獣の守護から逃れて人間界に行くことが出来る。間近に死の迫った人間の魂を、肉体から切り離して楽にしてやれるんだ。それに浄化されてしまうと、俺が俺でなくなる可能性が高い。〝俺〟という自我がなくなり、もっと別の存在に変わるのは──正直、怖い」

あたしはそんなエルの気持ちが、良く分かるような気がした。人間だって死んだ後どうなるか誰も知らない。一度死んだら〝あたし〟という存在はなくなり、例え輪廻転生したにしても同じ「自分」を維持できないだろう。

魔界にいればエルはずっとエルでいられる。あたしは今のエルの存在を終わらせる人間なんだ。

「とにかく街に向かおう。ここでグズグズしていても何の解決にもならない」

下を向いたあたしの頭を杖で軽くポンと叩くと、エルは歩き出した。あたしも倒れている犬を避けて歩き出す。この犬も元は人間だったのかな……。

街にたどり着くまでに金を十個ほど拾った。魔物に二回襲われたけど、小太刀で何とかやっつけた。エルは一度だけあたしが鳥型魔物につつかれそうになった時、杖を振り回して鳥に一撃を与えてくれた。