HV ―HandsomVoice―

第五十一話

──ぁああああぁ───





……不思議な音が聞こえる。哀しい音。そう、まるで……泣き叫んでるみたいな──

ギリギリと熱く燃えるように身体が痛い。でも指先は冷たい。熱いところから私自身が流れてこぼれおちて行く気がする。目を開けているはずなのに、何も見えない。周りは白い闇だ。白い……夜……。

右腕が、手が、なんだかグチャグチャする。なんだろう。ヘンな感触。時々下手くそな魚料理を作るとき、さばいて出てくる内蔵の感触に似ている。

「蘭っ。あぁあ、蘭! 蘭っっ!」

流の声。流の声だったの? さっきの、泣き叫ぶ声も……?

誰が流を泣かせてるの? なんで私の名前を呼ぶの? そんなに哀しい声で泣かないで。流が泣くと私も泣きたくなるから……。

そう言いたくて、口をあけた。開けてしゃべったつもりだったのに、出てきたのは水だった。血の味がする水。くくくっ……と笑い声が聞こえた。

「悪いね。約束を反故にして。やっぱりオレは流を消したい。でもまさかあんたが流を庇うなんて思わなかった。まぁ好都合かな。オレは自分のピュアが死ぬ瞬間を見てる。これでこそフェアだろう? 流。お前も味わえ。──ピュアを失う、痛みを!」

あっはっは……あっはっは……。笑い声が大きくなったり小さくなったりする。

「おっと」

薫が笑いを止め、ちょっと焦った声を出す。

「オレを捕まえようとしてんの? ムリムリ。さっさと子供のとこ帰んなよ、リト」

チッ、とリトが舌打ちした。

「そのような浅ましい姿になり変わって……。星導師の恥だな、お前は」

「──うるさい」

声に怒りが混じる。この後に及んで、薫は馬鹿にされることを嫌っている。見えないのが悔しい。身体に力が入らない。

普通なら痛みでどうにかなってしまうはずなのに、意識が保てているのはきっと流が治癒をかけているから。それでも私から流れ出ていくものを止めることは出来そうにない。

「リト、ぼくに〝気〟を送ってくれ! 今から治すから……蘭を、助けるから……!」

取り乱した流の声。動転のあまり、なめらかな声がかすれがちだ。

「薫を捕まえなければまた襲ってくるぞっ」 

答えるリトの声もかなり焦っていた。リトは約束を守ってくれるだろうか。

「それに……言いにくいがその傷は、無理だ。お前はまだ覚醒していない。治癒したら、いくらお前でも消滅するぞ!」

ダメよ! 流が消滅するなんて。そんなこと、絶対にさせない。私は自分の今の状態がなんとなく分かった。もうどうしようもない怪我。この右手のグチャッとしたのは………私の内臓だ。グロテスクだなぁ、と場にそぐわない心配をした。

死ぬ時くらいはカッコよく死にたかったのに。流にグチャグチャになった自分の中身を見られて死ぬなんて、最悪だ。でもある意味これでいい。ああ、リト……お願い……。

「なんでもいい! 少しでも治せば……きっと大丈夫だ。方法はある。だから今は助けてくれ、リト!」

切迫感が増す流の声。私を抱く腕に力が入る。

「──駄目だ」

よかった……。リトは守ってくれた。ありがとう。

「なぜだ! どんな知識でも与える。だから早く力を……!」

「蘭の望みでも……か?」

「な……に──?」

「蘭は俺に頼んだ。自分に何かあった時、流は自分を助けようとするから、止めて、と」

息を飲む音が聞こえる。指先がもっと冷たくなる。

「なぜ……? いつそんなことを……」

「昨日、蘭は俺に訊いた──」

昨日、私はリトに訊いた。

「ねぇリト。ピュアは……私がもし死んだら……私から離れる?」

リトは、驚愕の目で私を見た。

「何故、そのようなことを……?」

「いいから教えて。離れるの?」

「ああ、離れる。離れて……」

「新しい宿主につく。そういうこと?」

「その通りだ。でも何故そんなことを?」

私は、伝えた。私には──

「私には、流を覚醒させることができないかもしれない、と。流と結合することが出来ない可能性がある、とも言っていた」

リトが流に伝える。もう、リト。余計なこと言わなくていいのにな……。

「蘭は医者から言われたそうだ。あなたは男性を……受け入れきれないかもしれない。エコーで体内を見た限りでは大丈夫だと思うが、普通の女性よりは苦痛を味わうかもしれない、と。その場合ディレイターと呼ばれる器具を膣内に挿入し中を広げることも出来る、と言われたそうだが、蘭はどちらにしても同じだと──」

「……同じ? 何が──」

「自分は──流に子を授けられない……。だから結果は変わらない。私は流にふさわしくない。私が死ねばピュアは新しい女性につく。その方がいい、と言っていた」

「なんだ……って? なにを……」

「それが──蘭の意思だ。蘭を思うなら尊重してやれ。俺にも、つらいことだが……」

リトの声は彼らしくなく震えていた。リトは優しいな。優しくて、強い。ありがとう。こんなこと流に言う役やらせて、ごめんね……。

「そんなこと……なぜ? 蘭! なんで……!」

軽く揺すられる。目を開けようとしたけど、白い闇しか見えない。死ぬ時は、黒い闇だと思ってた。白く輝く銀色の世界で死ぬつもりだったのに、今は怖い。白い闇は怖い。怖いよ、りゅう……。

は、は、は……と声が聞こえる。

「──あんたのピュアも、そんなもんだね。……女ですらない。あははは──」

薫の声は狂っている。でも同時に悲しそうだった。薫の中にある、もうひとつの強い感情がやっと分かった。

薫は哀しいのだ。哀しくて、哀しくて、哀しくて……狂ってしまった。狂うことでしか、生きる術がなかった。

あははは……あははは……あははは……。止まらない笑い声。なんて悲しそうな、可哀想な笑い声……。

「これ以上、おれを怒らせるな!」

一瞬、誰の声か分からなかった。

「日神の息子、春日流の名において、ここに誓う。薫、おれはお前を消滅させる」

空気がひるんだ。この声、流なの? 〝おれ〟なんていったことなかったのに……。

「お前はおれの妻となる、大切なピュアの蘭を傷つけた。その罪だけでも、万死に値する!」

すさまじい、気迫を感じる。この声は……。──裁きを下す、神の声だ。

「お前のやったことは、ただの自欺だ。己への憐情の為に、真実の相手ではない人間を巻き込み、あまつさえ命まで奪った。しかもお前は、おれの力を過小評価している。神の子であるおれに勝負を挑むことなど、おこがましいとは思わないのか!」

ひゅうぅう……と空気が歪む。明らかな、恐怖───。

「──っ」

息を呑む、声にならない声が聞こえた。それはなぜか、二つの方向から聞こえる。

「逃げるか? だが例え銀河の果てに逃げおおせたとしても、おれは必ずお前を見つけ出し、この世界から抹殺する。おれには、それだけの力がある」

本当に、空気が震える。薫はいままで味わったことのない本当の……恐怖、を感じている。

きっと薫は今まで、本気で怒られたことなどなかったのだろう。周りに……流に優しくされて、面倒を見てもらって、自分自身を実際より大きく感じていた。

その内同じことの繰り返しにうんざりする。自分はもっと強くなれるはずだ、と勘違いする。一つ、一つ、クリアして行くことで成長することが、待てない。

そして出来るものに嫉妬し、いわれのない憎悪を感じる。自分も何かの力が、いきなり夢のように増えさえすれば何でも出来ると信じ、見当違いの事をして、失敗する。

──その姿はなぜか、自分を含んだ今を生きる私達人間の……不器用で救いのない生き方と相通じるものを感じた。

薫は、可哀想だ。可哀想な──でも恵まれ過ぎた〝最後の子供〟。

わぁん……わぁん……と空気が激しく歪む。薫の怒りと焦りと恐怖が渦巻く。その時感じた感覚は、言葉にするのは不可能に思えた。空気そのものがざわめき、歪んでいく。大気全体が何かの意思を持つように収縮する。

「ぎゃあああああ──────っ」

突然薫の声が響いた。恐ろしい叫び声。まるで──断末魔のような。

(そんな! ダークマターを操るだと? 有り得ないっ)

リトの思念が私の頭に届いた。その単語が何を指すものかさっぱり分からなかったけど、リトが流のしていることに驚愕しているのだけは分かった。「やめろ、流! 世界が壊れるっ」リトが叫んだ。

「やめるんだ。薫を解放しろ。どうせそんな奴は何も出来ない。何をするにも中途半端だ。罰するのは後でも出来る。今は蘭の最期を看取ってやれ。もう時間がないぞ!」

リトが必死で流に訴える。流の手がそっと私の頬をなでた。大気の圧迫がなくなる。その途端、フォ……ンッという音を残して、薫の気配がなくなった。