第五十話

「あんたは気に入らないだろうけどね。なんだったら一緒に消してあげるよ」

はははっ、と笑い混じりに薫は言う。こいつは本当に流を倒せると思っているのだろうか……。倒すことが可能かどうかは別にして、薫は流に痛手を負わせることが出来るかもしれない。

流が傷つくなんて──そんなこと想像したくもない!

「あのね。ひとつ頼みがあるの」

私は思い切って切り出した。問題は言い方だ。薫は狂ってる。でも話ができないほどじゃない。それなら賭ける価値はある。私の希望のためだ。頑張らなければ。

薫は怪訝そうな目で私を見た。目は一つしかないのに、段々その感情を捉えられるようになってきたのが不思議だった。薫は目をすがめてから言った。

「なに? 命乞い?」

「違う、そうじゃない。あなたは強い。もう流を倒せるくらいの力がある。それなら、結果をもっとフェアにするだけの度量もあるはずよね?」

わやわやわや……影が渦巻く。私の言いたいことが分からなくて感情が揺らいでいる。私はもう一度畳み掛けた。

「本当に強い……最強の存在は、自分より格下の者に慈悲をかけるはずよ。あなたはもう、流の力を超えた。流に怯える必要はないと思うの」

ふわふわと影が膨らむ。案の定、私の褒め言葉にちょっと機嫌を良くしている。どこまでも幼い。この期に乗じて私は聞いた。

「あなたは、流にピュアを奪われたのよね? ……それは、私も気の毒だと思う」

今度はグルグル影が目の周りを回転する。動揺しているのが分かった。

「──そう。そうなんだ! 流のやつ、オレのピュアを殺した。あいつが手を下したワケじゃないけど、結果的にはそうだ。もっと早くユリとオレのこと認めて、儀式をしてくれてたらユリは死なないで済んだ。聖界じゃなくて人間界で結ばれたからあんなことになったんだ。何もかも……流が悪い。きっとオレに嫉妬したんだ。オレの方が先に覚醒できると知って、邪魔をしたに違いない」

逆恨みだ。でもそれを指摘したところでなんの解決にもならない。──もうひと押し。

「だからあなたにとって、そのことが解決できれば後は問題ないはずだと思うの」

「どういうことだよ」

私はすぅっと息を吸い込んだ。そして伝えた。

「目には目を。その言葉、知ってるよね? 私はこう思うの。ピュアにはピュアを。あなたはピュアを失った。それなら、流もピュアを失えばいい。違う?」

薫は愕然としたようにその目を開いた。まさか私がそう来ると思っていなかったらしい。

「あんた……死ぬつもりなのか?」憐憫を込めた言葉。その言い方は、どこか薫の元の姿を垣間見るような感じがした。星導師として人間を救おうと頑張っていた過去の姿を……。

「──私はどのみち、長く生きられない。医者からそう言われてるの」

これは事実ではなかったが、私は自分の希望のためなら薫の同情を買うことも厭わなかった。どうか受け入れて欲しい。私の頼みを。

「それに、こんなからだで流といても、惨めになるだけ。ずっと死にたいと思ってた。その後押しをあなたにして欲しいの。そうすれば流はピュアを失い、あなたと同じになる。フェアでしょ? それ以上、流に何かするのはナンバー1としての名が泣くことになる」

薫はすがめていた目を閉じた。私の意見を頭の中で反芻しているのだろうか。私は背中にじっとり汗が湧き出すのを感じた。普段はあまり汗なんかかかないのに……。

「……具体的に、どうすればいいんだ? オレにあんたを殺せっていうのか?」

しばらく黙っていた薫が私に聞いた。安堵のため息がもれないように、私はまたお腹に力を入れた。

「自分の始末は自分で付けるわ。私は流に最後のお別れをする。そしてそのあと、流からもリトからも見えないように、私にバリヤーを張って欲しいの。そうすれば流は私を追えない。助けることもできないでしょう? 私は誰からも邪魔されることなく、死を実行することができる」

雪山に行こう。ずっとそう思ってきた。死ぬなら、雪山がいいと何かで読んだことがある。そこは白い世界だ。白い夜を歩いてきた私にふさわしい。今ここで薫がバリヤーを張った世界とは違う、白の風景。美しく輝く白い雪原で死ねたら、こんな人生もちょっとはマシに感じられるかもしれない。

「オレとしては流にあんたが死ぬところを見せたいけどな。……まぁでもいいか。フェア、ね。悪くないアイデアだ」

良かった。乗ってきてくれた。これで私の希みが叶う。

「じゃあ一度、私を流のところに戻して。私は流に別れを告げる。このまま私がいなくなったら、流は死に物狂いで私を探すでしょう? よく考えればバリヤーであなたが私を隠したという事実にたどり着いてしまう。もし神々にまで頼んであなたを見つけ出そうとしたら面倒なことになるかも」

私はここに来て焦っていたのだと思う。このまま流に会えずに永遠のお別れをするのは、辛すぎた。未練だと分かってる。でもデートもしないまま、死んでしまうのは嫌だった。

今日の帰りにちょっとどこかに寄るだけでもいい。それとも帰ってから古いスカートを引っ張り出して、女の子に戻って──

「神々はオレを捕まえられない! オレはもう、神ですら恐れることはないんだ」

興奮した口調で薫が叫んだ。黒い影はものすごい勢いで渦巻きながら伸びたり縮んだりした。いけない。せっかくの提案まで台無しになっては困る。私は両手を広げて薫を落ち着かせようとした。

「そうだね。あなたはもう、神さえ超える存在なんだ。それなら私の小さな願いくらい聞いてくれるでしょう? ただ流にお別れを言う機会を与えて欲しいだけなの。いくらあなたが強くても神々に出て来られたら厄介よね。私がちゃんと別れを伝えれば、流は諦めてそれ以上詮索はしないし日神も出てこないと思う」

黒い影の動揺は徐々に落ち着いてきた。渦巻きは小さくなって軽くさざ波立つ程度。薫は多分、私の意見を受け入れたのだ。

「ふ……ん、そうだな。じゃあ今からバリヤーを解くよ。流にあんたが別れを告げたら、近藤の家まで来い。その時あんたにバリヤーをつける。それでいいだろ?」

「うん。──ありがとう」

お礼を言うなんてどうかしてる。薫にバリヤーを張られた時点で自分の死は確定するのに。でもこれも私の大きな希望のためだ。希望はいい。望みを持つことで力が湧いてくる。

死ぬのは正直──怖い。実行できるだけの勇気が湧くかどうかも分からない。今まで貯めたお年玉を下ろして、電車に乗って遠くの山に向かおう。そして雪山に登って睡眠薬を飲む。引きこもりになった時、医者は嫌というほどの睡眠薬を処方してくれた。あれを飲めば凍死するのもちょっとは楽になるかもしれない。

兄のことを思うと、さすがに心が痛んだ。きっと兄は私の死を自分の力不足だと感じるだろう。それにとても悲しむと思う。兄には手紙を書いて残そう……。心からの感謝の気持ちを。

いきなり視界に色が戻った。一瞬目が慣れなくてギュッと閉じた。そのあと、ゆっくり開いてみる。

樫の木の奥の茂みを覗き込む流が見えた。私の名前を切羽詰った声で呼んでいる。私は足を前に踏み出した。砂利をこする音に流が振り向く。その美しい瞳が私の姿を捉えると、ものすごい勢いでこちらに駆けてくる。

私は幸せだった。この人はこんなにも私を大切に思っている。この思いを受け止めて、私はいなくなる。これ以上の幸福があるだろうか。誰かに深く愛されたまま、死ぬことができるなんて。

一瞬後、私は流の腕の中にいた。甘い香りで満たされる。私は流の身体に腕を回した。思い切り力を込めて流を抱く。あと何度、残されているのか分からない抱擁をしっかりと味わいたくて流にしがみついたのに、流は私が怖がっていると思ったらしい。

「蘭! 良かった、見つかって。突然姿が見えなくなったから気が狂うかと思ったよ。どうしたんだ? 何があった?」

強く抱きしめる流の腕からなんとか顔を出して、上を見上げた。相変わらず何度見てもときめいてしまう美しい顔が、私を心配そうに見下ろしてくる。

「えっと……良くわからないの。いきなり流達が見えなくなって真っ白い場所にいた。怖くて動けなかったら、今また元の場所に戻ったの」

下手くそな言い訳だったけど、流は信じてくれた。

「そうか、怖かったな。ごめんな」と自分が悪いわけでもないのに謝ってる。私の頭を胸元に抱き寄せて離そうとしない。ホントに息が苦しくなってきた。

「あの……あのね、流。ちょっと苦し……」

私は平手で流の背中をパタパタ叩いた。

「あっ、ごめん」

流が私を抱く腕を緩める。私はひとつ大きく息をつくと周りを見渡した。私たちのいる場所から並ぶ樫の木三本分ほど離れた位置に、リトが膝をついて横たわった近藤を見ていた。リトが顔を上げて私に視線を寄越す。

(無事だったんだな。良かった)

私の頭の中にリトの思念が届く。心配してくれる彼の想いが有難かった。

(近藤は大丈夫?)

近藤なんてこの際どうでもよかったが、薫にとって近藤は大切な寄生対象だ。一応安否確認をしておきたかった。

(ただ気絶してるだけみたいだ。……まったく今日はなんて日だ。横たわる美女ならまだしも、意識のない男の世話なんてまっぴらごめんだ。まさかもうひとり増えたりしないだろうな)

リトはげんなりした口調で訴える。その言い方がおかしくて口元が緩んだ。リトから流に視線を移そうとした時、リトのすぐ横に黒い影が渦巻くのが見えた。ハッとして影を見る。近藤のすぐ上で影は大きな塊になり、カッと目を見開いた。

「やっぱりやめたよ。オレは流を倒す」

狂気の瞳は言うが早いかシュッと動いた。こちらに向かってくる。私は一歩流から離れ、腕を伸ばして流を押した。ただ押しただけでは、流は動かない。だから空手の気合で押した。流が少しだけ身体を傾ける。

ドンッという衝撃が身体の右側に来た。おそるおそる、自分の右側を見てみる。

私のお腹の右半分が──なかった。