HV ―HandsomVoice―

第四十七話

私は自分から、流の首に両腕をまわして抱き寄せた。大泉が触れたところを清められたい一心で──。

そのまま膝立ちになる。片手を流の後頭部に回して、髪を指に通して引き寄せながら、キスを返した。初めてちゃんと触れたサラサラの髪。つややかな感触にため息が出る。もう一方の手で、流の手を自分の脚にひっぱって導く。優しくさすられて身体中に震えが走る恐怖の震えとは、全然違う。

キスが深くなる。腰を引き寄せられる。そのまま、流の手が腰から下に降りて行く。大泉が撫でまわした場所を、流の手が清めて行く。

流の唇が頬を、耳を、首筋を伝う。私の両手は流の頭を抱えていた。ほんの少しでも離れてほしくなくて。その甘い吐息を、熱い唇を、少し躊躇いがちに私の肌をたどる舌の感触を、一瞬たりとも逃したくない。

もう一度流の唇が私の首筋に沿って動く。今度は上へ。顎をさまよい、私の唇をまた捉えた。狂おしいほどのキスが始まる。映画やドラマで聞いたことのある、恋人同士が激しく唇を重ね合わせる時の音が、今現実として私の耳に届く。

女の子は──私が女と言えるなら、だけど──相手が好きな人になると、身体の反応が全然違うんだな、と頭の片隅で思った。同じ場所で同じように触れられているのに、私の身体はさっきとは全く違う反応を示す。

身体の芯がどう仕様もなく熱い。そこに触れて、この熱さを沈めてほしい。くるみ込むように私を抱きすくめた流の胸から、速い鼓動が響いてくる。私の鼓動も同じくらい速い。

息もつけないほどのくちづけを交わしながら、流の指先がそっと私の内ももをなぞる。電気に触れたみたいに、身体が震える。一度離れた流の唇が、下に降りて私の鎖骨をたどっていく。思わず流の髪を握った。自分の呼吸が激しく乱れるのが分かって……恥ずかしい。でも、止められない。もっと、と欲張りになる。

心と、からだと……すべてが流を求めている。何も考えたくない。考えられない。

……今だけ。
今、この時だけ──

ふいに流の動きが止まった。私の右肩に顎を乗せて、膝立ちで私の背中と肩に腕を回したまま、少し息を乱して囁く。

「ここは……シチュエーションがいまいちだな……」

耳元で響くいつもより低い──ハスキーボイス。余計、ゾクッとなった。でも、そこで我に返った。わたし──なんてことを……!

「ごめんなさい!」 と言って、流を離してしゃがんで顔を覆った。頬が熱い。いくらショック状態だったからとはいえ、自分から……あんな……。

「蘭?」と言われて、「見ないで、見ないで、見ないで!」 と叫んでしまった。

流は私から手を離して、少し離れた。早くズボンを穿かなきゃ……と思ってズボンを探した。あまりに恥ずかしくて目を閉じたまま、手だけでコンクリートの床をパタパタやっていたら、結局流がズボンを渡してくれた。

「蘭、聞いて……」

「や! 聞かないッ」

もう、必死。なんとか目を閉じてズボンを穿くことに成功。砂でジャリジャリするけど、気にしないことにする。

「蘭、頼むから……」

「今日、耳、日曜!」

両手を今度は耳に当てる。やっぱり目は恥ずかしすぎて開けられない。わはは、と言う笑い声がした。

「いやぁ、最高に色っぽかったぞ。蘭」

リトに言われて、やっと目を開けることができた。振り返ってリトを睨む。部室の入り口に寄り掛かって腕を組み、ニヤニヤしてリトは私を見ている。

「見てるなんて、サイテー!」とまた叫ぶ。

「見てたんじゃない。見えたんだ。そこは大きな差があるぞ。それにここは公共の場だからな。一応」

「大泉は?」流の声はあくまで、冷静。

きっとたいしたことじゃないんだ、流には。と勝手に八つ当たりする。そして、どうしよう、ホントに流にとってたいしたことじゃなかったら……と今度は焦った。

「裸にむいて公園に立たせておいた。まぁ、警察沙汰になることは必至だな。……それにしても──男の服を脱がすのは我が人生でもサイアクの経験だった。実に脱がしがいがない。苦労して脱がせても、おぞましい物しか出て来ない。犯してはいけない罪を犯してしまった気分だ。自分が汚れた気がする」 

自分が汚れた、と言うリトの言葉を聞いて、私はまた顔を上げられなくなった。早くこんな場所から動きたいのに、大泉への嫌悪感と、自分の行動への恥ずかしさで、脚が動いてくれない。腕だけで持ち上げようとうん、うん、ともがいていると、流の手が私の脚にかざされた。

ぽうっと暖かさと光が広がって、脚に力が戻る。立ちあがることが出来た。靴も履けた。良かった。下を向いたまま「ありがとう……」と流に言う。

──返事が、ない。流は後ろを向いたまま、部室から出て行った。

いつも、いつも、流は私に優しくしてくれてきたから、その冷たい態度に、ものすごい衝撃を受けた。肺がギュウッと縮んで息が出来ないくらい、痛い。喉の奥が締め付けられる。

流の後ろを追って部室を出たけど、やっぱりこちらは見てくれない。リトは流を気に入らなげに見ている。まるで……そう、「よくないぞ、それは」と教えている先生みたいな顔。

私は流の後ろで、頭の中がグチャグチャになっていた。どうしたらいいのか全然分からなくて、胸の痛みだけが強く、ひどくなっていった。両手のこぶしを握って胸に当てる。そうしないと立ってられない。

涙がまた、ボロボロ、ボロボロ、目から落ちる。自業自得なんだ、流が怒るのは当たり前だ、とそればかり考えて目をつぶった。口に両手を当てたけど、悲鳴みたいな小さい嗚咽が漏れる。子供みたいで情けない。

暖かい腕が、身体に回された。咄嗟に逃れようと後ろに下がる。でもやっぱりあらがえなくて、もう一度強く引き寄せられるとそのまま優しい腕の中に入った。

「……ごめん」

流がすぐ近くで囁く。

「蘭に──拒絶されたのがショックで……。今の態度は悪かった。あまりに子供じみている。自分で自分が情けないよ。本当に、ごめん」

心底、反省してる声。ううん、って言いたかったけど、またあんな風にされたら、きっと私の心臓も肺も喉も、目も、精神の苦痛のあまり機能停止して二度と動かなくなると分かっていたので、そのまま余計に泣きじゃくることしか出来なかった。

流は、ごめん、ごめん、ごめん……とずぅっと繰り返した。その間も、私のおでこに頬を擦り付けたり、額をあてたり、キスしたりしてくれたので、段々、落ち着いてきた。でも、反動みたいにまた痛みが襲ってくる。

流に冷たくされるのは、大泉に触られる何倍もの衝撃を私に与えているのが分かった。本人が目の前で謝っていてさえ、あの時の痛みを消してくれない。

やっぱり私は心が狭いんだ……。自分が嫌になって、流からまた離れようと足を後ろにずらす。流は私を引き寄せると、また息をするのが苦しくなるほど腕に力を入れた。

「──あんまり蘭が可愛くて……ぼくのことをすごく求めてくれてるのが分かって、嬉しかったから……」

流は私を強く抱きしめたまま、私の左耳のすぐ横でリトに聞こえないように囁いた。でもリトには聞こえてしまうと思うけど。

私はびっくりして目を開けた。──可愛い……? あれが? どう考えても、はしたない行動なのに……。

「こんな場所じゃなかったら──止められなかった……」

熱い吐息と共に耳元で言われる。

ほんとに……そんな風に思ってくれたの?
自分から流を誘うような事をしたのに、可愛いと思ってくれるの?
流にとってもあのことは……歓びだったの……?

色んな質問が頭をめぐる。驚きのあまり涙は止まった。流は私の顔を両手で包むと、唇を私の左頬の唇の端につけた。そのまま話す。くすぐったくて、でもものすごく敏感になる場所。

「それを……あんな風に拒否されたら……傷つくよ。だからひどい態度を取ってしまった。ほんとに、ごめん──」

言ってからちょっと首を傾けて、私の唇を半分塞ぐようにキスする。そして唇を離すと、いつものように額を合わせてそっと擦り付けてから、私の瞳を捕らえて言った。

「続きは聖界で……ね?」

私は止まった。これまでは、ごまかせた。こんな風にすぐ近くで、両頬を手で押さえられてなかったら。

──続きはない。私には──