HV ―HandsomVoice―

第四十五話

またズボンを上げようともがく。なんて情けない格好。それにまるで……自分から脱いだみたいじゃない。

ドッという新たな衝撃は、強烈な臭いと共にやってきた。大泉が圧し掛かってくる。ドアはしっかり、閉めてある。急いで逃げようとしたのに、どうやっているのか、全身をがっちり押さえつけられて動けない。腕を押さえられて、はあ、はあ、言っている大泉の顔が目の前に来た。

「まさか……おたくからこんな風にしてもらえるなんて……」と呟いている。

勘違いも甚だしい。大体私は男だろ。大泉から見て、だけど。息の臭いに耐えられない。大泉は左手で私の両腕を私の頭の上で押さえると、右手で身体をまさぐり始める。動こうともがくと余計、興奮を与えてしまったらしい。大泉の息がますます荒くなる。

声を出そうとしているのに、出て来ない。恐怖からなの? 喉がつまる。怖い。どうなるの? 私……。

圧倒的な、力の差、を感じていた。男の力がここまで強いとは……。大泉は私より身長が低いのに、力ではかなわない。──こういう時、女の子って不利だよね、と言っていた菜々美ちゃんの気持ちが痛いほど、わかる。

でも足は自由になるはずだ、と思って蹴りをいれようとしたけど、動かない。その時ハッと思い当った。〝邪〟の力が働いてるの?

リトはどこだろう。いるなら、いくらなんでも助けてくれるはず。でも来ない。ということは──見失ってる? まさか……薫が──。

「犯人はね、近藤だよ」

言いながら大泉の汗ばんでねばついた手が、私の脚を這いまわる。手のひらを太ももに吸いつけるような動き。吐き気がする。

「あいつとは、中学が一緒だった。あいつはもともとあんなにモテるタイプじゃなかったよ。高校から、変わったんだ。デビューってやつ? でもやっぱり、暗い中身は変えられないみたいだ」

言ってククク、と笑う。

「近藤が上ぐつを、焼却炉に捨ててるのを見た。あいつは誰もいないと思ってたんだ。ほんとは焼却炉の中に入ってたのを、俺が取り出したんだよ。よかっただろ? 俺がいて……」

よかったどころか、いますぐ死んでほしい。大泉の口が私の唇を吸いあてる。首を振って抵抗したけど、しつこく追いかけてくる。

流にファーストキスを奪ってもらって良かった、と咄嗟に考えた。これが初めてのキスなら、私は迷わず自殺したかも……。とにかく、臭いに耐えられない。

「おたくのことは……分かってるよ。ほんとは女なんだろ?」

ギクッとした。なぜか分からないけど、大泉は私が完全な男ではない、と分かっているのだ。

「なんか、理由があって男のカッコしてるんだよな。マンガやアニメによくあるよ、そういうの。大丈夫だよ。これからは……俺がいるからな……」

現実はマンガやアニメとは違う。俺がいるからな、だと?  夢の世界から出て、本当の私を見たら、きっとコイツは逃げ出すだろう。

大泉は勝手に解釈して、勝手に興奮している。近藤みたいなプライドが高いタイプもやっかいだが、こういう思い込みが強いやつも、かなり始末が悪い。なんとか抜け出そうとするのに、全然動けない。

脚をなでさすっていた大泉の手が……脚の間に入ろうとする。どうにか入れさせまいと、両足をギュッと締め付けた。でも無駄だった。大泉の右手は私の体の真ん中を捉える。「やっぱり……!」と大泉がつぶやいた。

「やっぱり、ない。楠本は女だ。こんなことがあるんだ。ホントに……あっ……た」

はぁ、はぁ、はぁ……。荒い息が耳元で響く。大泉は私にのしかかると全身を擦り付けてくる。重くて息苦しい。カチャカチャとまたベルトの音がした。

なんか硬い物が下腹にあたった。まさかこれ、大泉の……?

ぞっとして、逃れようとしたけど、やはり無駄だった。恐怖と、嫌悪感と、吐き気が極限に来た。目の前が真っ赤に染まる。あの時と同じ熱い塊が体の中心に湧き上がる。近藤と戦った時感じた、私の中の──焔。

ジリジリと何かが焼けるような感覚があった。抑えられていた圧力を、焔の力で焼きつけていく。

「──やだッ」やっと、声だけ出た。

「やだぁ! 助けてっ。りゅ……っ」

グッと喉が詰まった。大泉の両手が私の首に掛かる。せっかく声が出たのに、その頼みの綱が使えなくなった。こんな場所でどんなに叫んでも、誰にも聞こえないかもしれない。でも助けがくる可能性があったはずなのに。

「黙れ」言うと大泉は手を上下に動かした。

「お前はおれのものだ。おれだけがお前を分かってやれるんだ。おれは手に入れた。他の奴らがバカにするこのおれが……! こんな漫画みたいなことが現実に起こったんだ。絶対離すもんか。おまえは、おれが、まも、る……」

大泉の手がまた私の首を上下させる。「ガハアッ」と息を吐き出す変な音が頭のすぐ上でした。

「──うぐぁ……がっ。がががが、があぁ────っ」

大泉が言葉にならない声で叫ぶ。これが〝邪〟の暴走なの? 首に掛かる圧力が強まる。首から上が膨張するような感じ。顔に血液が集まって熱くなる。周りの音も聞こえなくなった。