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第三十九話

近藤は私の制服を手荒く振り払った。さすがに男の力は強い。私は階段を二段ほどずり落ちてしまった。

なんとか身体を支えて顔を上げると、近藤が今度は菜々美ちゃんの肩を掴み、右手を振り上げているのが見えた。私は叫ぼうとした。

「やめっ……」

菜々美ちゃんの左頬がバンッとなった。衝撃で菜々美ちゃんが私のほうにくる。とっさに手を伸ばして菜々美ちゃんの身体を支えた。

「春日の次はこいつかよっ」

近藤は怒鳴りながら菜々美ちゃんを私から引き離し、自分の方に引きずり上げる。そして両手で菜々美ちゃんの肩をガクガクゆすった。カチカチカチ……と音が鳴る。近藤があまりに強い力でゆするので菜々美ちゃんの歯が当たって音を立てていた。菜々美ちゃんの首がムチ打ちにでもなるんじゃないかと思うほど凄い勢いで揺らしている。

菜々美ちゃんは目を閉じて、ただ怒りが通り過ぎるのを待っている。怖すぎて抵抗する気力をなくしているように見えた。──そこで、私の中の〝怒り〟に火が付いた。

これは、おかしい。こんな風に菜々美ちゃんが扱われるのは、許せない。

年下なのに、お姉さんみたいにしっかりした菜々美ちゃん。いつも明るくて可愛くて、転校生の私に気を遣って声を掛けてくれる優しい女の子。

彼女が何をした? こんな扱いをされなければならないどんな罪を犯した? 近藤みたいなバカな男をちょっとでも好きになってしまったこと?

私の身体の中心に、溶岩の様な熱いかたまりが燃え上がるのが分かる。〝怒り〟が激しく燃える。私の中の狂おしい焔。

菜々美ちゃんは……ううん、違う、例えどんな女の子でも、殴られていい子など一人も──いない!

「やめろ」

私は近藤の肩をつかんだ。私の倍以上ありそうな肩の厚み。でも怒りのあまり自分を止めることが出来なかった。

近藤は無言でこちらに向き直ると、いきなり右手でパンチを繰り出してきた。私はスッと後ろに上半身だけのけぞって避けた。それで、余計に近藤の怒りに拍車がかかった。

私を踊り場にひきずり下ろすと、さらに腕を振り回して殴ろうとする。私はガッと近藤の手を自分の腕で受け止めた。身体は自然と空手の型をとる。よかった。ちょっとは覚えてたみたい。

近藤は衝撃を受けて、青ざめる。かと思ったら、真っ赤になった。また右手が迫ってきたのでひょいとしゃがんで避けて、近藤の足に足払いをかけた。ドテンッと近藤が尻もちをつく。私は空手の姿勢を取ったまま、言った。

「ちょーしこいてんじゃねえよっ」

近藤が驚愕の表情で私を見た。

「ぶん殴れば女が言うこと聞くと思ったら、大間違いなんだよ。これが好きな女にすることか!? お前は菜々美ちゃんに見捨てられるのが怖いだけなんだ。影で彼女を泣かせて、何がカレシだ。お前は菜々美ちゃんと、もう終わってんだよ。自覚しろ!!  バカヤローッ」

一気に言い放った。どうか流が聞いてませんように。

でも流は、聞いていた。流には私の居場所が分かる。階段下からこちらを覗きこんでいるのが見えた。一瞬、目を見張ってから──フッと笑った。

近藤はショックと恥ずかしさで尻もちを付いた姿勢のまま、青くなってブルブル震えた。私はグッと姿勢を落とした。どっからでも掛かって来やがれッ。

近藤は私を睨みつけたまま、ゆらりと立ちあがった。その周りを黒い影が薄く渦巻いているように見える。影は近藤の周りを濃くなったり薄くなったりしながら取り巻くように揺らいでいた。近藤のからだ全体が黒く薄い膜で覆われているみたいだ。

──なに? と思ったら、歯をむいて震えていた近藤が、また右手を繰り出す。でもその手が私に当たることは、なかった。

「蘭に手を出したら──」

流の声はいつもより、かなり低い。

「その倍の痛みを、お前に返す」

落ち着いた声だった。だからこそ、本気だと言うことが分かった。近藤は流を睨みつけたけど、迫力的には五千年分は足りなかった。バッ、と流が握っていた右手を振り払う。そのまま流に向かってその手を繰り出す。それはあっという間の出来事だった。

流は軽く握った左手を顔の前に出すと、腕で近藤の攻撃を受けた。そこまでは私にも見えた。次の瞬間には、近藤はまた踊り場に尻もちをついていた。

流の動きは昨日見た剣の舞の様だった。早すぎて良く分からなかったけど、クルリと回転しながら近藤に攻撃をかけたのだろう。気が付いたら、流の背中が目の前にあった。近藤と私の間の盾となるために。

近藤は恥辱のあまり涙目になりながらワナワナ震えた。でもどう頑張っても敵わない相手と戦うのは愚かだ、と思うくらいの脳みそは残っていたらしい。

「覚えてろ……!」という悪役の手本みたいな捨て台詞を吐いて、足早にこの場を去った。あの影はもう見えない。なんだったんだろう。流にも見えただろうか。

その時、パチパチパチと拍手の音が聞こえた。階段下にいた数人のギャラリーが手を叩いている。みんな、なぜか私を見ていた。

「いい啖呵だったぜ!」
「すっきりした。サイコー!」と何人かが言った。

私はポカンとして、身体の緊張をといた。みんなは私を讃えてるの?

流は誇らしげに私を見ている。聞いちゃったよね、あれ……。一気に自分の中の〝女の子〟が戻ってくる。みんなはザワザワしながら教室に帰って行く。私の言ったことに、共感してくれた男の子達がたくさんいた。

そのことが、とても、嬉しかった。