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第三十五話

秋の始まりの夜の遊歩道は、少し肌寒くて澄んだ空気に満ちていた。

私達は手をつないで、ゆっくり歩いた。どうせ誰も見てないや、と思ったら遠慮するのがバカバカしくなった。

かなり遅い時間だったので、明日の事を(というか、正確には今日になってるけど)考えると憂鬱になる。私は睡眠不足になると、貧血を起こしやすい。しかも、放課後には大泉に会わなければならない。

流からは気をつけて、と言われたけど、私は一人で大泉に会う決意を変えなかった。星導師さえ追えない、嫌がらせの犯人をどうしても訊き出したかった。

それに、薫……。あの影が薫なのだとしたら、なぜ、私には見えるのだろう。バリヤーの能力を使って、私が憎いならさっさと殺せるはずだ。薫は私に何か言いたいことがあるのではないだろうか……。明日がますます憂鬱になる。

それでも、歩調は変えなかった。ゆっくり歩く。流となら、ずっといつまでも一緒にいたい。公園の広場に差し掛かった時、剣の舞のことを思い出した。

「そういえば……さっきここで、舞……っていうのか分からないけど、剣を持って踊ってなかった?」

私が訊くと流はちょっと照れたように笑った。

「やっぱり蘭には見えたか……。あれはね、聖界で今度、父の所に木神が訪問するんだ。木神はリトの親の様なものだから、ぼくが木神の星導師であるリトの世話になっているお礼に宴を開くことになった。

聖界の者は食事はしないし、眠りもしないから歌や踊りを楽しみにしている。それでリトと二人で剣舞を披露するように頼まれた。まだ練習中で下手だから恥ずかしいよ」

あんなに綺麗に踊っていて下手なんて……完成した舞はどれほど美しいのだろう。

「今の〝邪〟を破壊したら……」

ちょっと躊躇ってから流が言った。

「一度、聖界に戻るんだ。そして剣舞を披露する」

聖界に──戻る?

考えてみたら、当たり前のことだった。流は人間ではない。ずっと一緒にいることは……出来ないんだ。そう思ったら、鋭い刃物で胸を切り裂かれたように、キリキリ胸が痛んだ。ずっと一緒にいるなんて、無理だ。そう分かっていても苦しみは去ってはくれない。

急に黙ってうつむいた私を見て、流は足を止めた。そして私と向い合せになり、もう片方の手も取った。

「ぼくは、蘭と離れたくない。だから──一緒に聖界に来てほしい」

息を飲んで、下を向いたまま目を見開いた。私が……聖界に行く? それこそ全く想像もつかない。それに人間はどうやったら聖界に行けるのだろう。

「ぼくは蘭を一人ここに置いて、聖界に戻ることは出来ない。離れるなんてたとえ数日であっても、絶対に無理だ。精神がそれこそおかしくなる。怖いとは思うけど、どうか共に来てほしい。ぼくのために──」

流は少し躊躇って、不安げに私を見た。そして言った。

「すべてを捨てて……ついて来てくれる?」

すべてを……捨てて。それは、流の頼みならいくらでも出来ると思う。でもそれが果たして流の為になるのか……。私が──流と、共にあることが。

すぐには答えられなかった。流が私の手をギュッと握る。いつも流はこうやって、私の意思を尊重してくれるんだな、とこんな時なのに感心した。ほんとに気を遣い過ぎだよね、リト……。

私は、今度は嘘をつくことにした。他ならぬ、愛する流の為の嘘。

「──はい。行きます」

流は最初、きゅっと眉をよせて私を見た。そしてゆっくりその顔が輝きだす。驚きと、安堵と、喜びと……すべてが見えるような気がした。私も流を見て微笑んだ。どうか同じくらい、輝く笑顔に見えるように、と祈りながら。

流は今ではすっかりお馴染になった、〝こっつんおでこ〟を私にした。

「今日はもうゆっくり休んで。ぼくが見張っているから、何も怖いことはないよ。ぐっすり眠って、ぼくの夢を見て。そして夢の中でも、ぼくを愛していて」

気障なセリフ……。だけど、流から言われると嬉しくて、嬉しくて、また涙がにじんだ。私は小さくうなずいた。本当に流の夢が見られるといいのに……。

流は目を閉じて、また私のおでこに自分の額を擦り付けた。そして少し顔を離すと、今度はさっきより、もっと長く、深く、くちづけをした。