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第二十一話

金髪でこれぞ天使、という顔をしている。潤んだグリーンの瞳とふっくらした愛らしい唇。……ズキン、と胸が痛んだ。こんな人が近くにいて、流が私を──好きになるわけがない。

「どうだった?」と流が訊いた。

「無事、宿主に入った。飛散はしていない。絶妙の力加減だったな」と金髪の人が返す。その声を聞いて、私はまた息を飲んだ。艶っぽくて、でも低い男の声だった。

「ただの〝邪(じゃ)〟なのに、オーラを感じなかった。おかしいな、お前気が付いたか?」と続ける。

「──いや。ぼくには蘭の気配すら分からなかった」

流が答える。あり得ない、と言う顔。

「蘭へのいやがらせの犯人も追うことができない」

金髪の美人からいきなり呼び捨てにされてビクッとした。

「能力的には〝バリヤー〟だな。しかも強力だ」美人が続ける。流は険しく眉根を寄せた。「これはお前に言おうかどうか、迷ったんだが……」

金髪美人が躊躇うように言う。この顔からこの声が出てくるのが、不思議でたまらない。

「──薫(かおる)が……逃げたそうだぞ」

流は大きく目を見開いた。サッと顔が青ざめる。全然意味の分からない会話の上、焼けつく痛みはなくなったものの、まだショックが続いていて頭がくらくらしてきた。

身体が傾いたので、流のTシャツの背中を掴んで自分を支える。瞬時に流は気が付いて、また私を抱き上げるとソファに座らせて自分も隣に座り、私を左腕で抱き寄せた。

いつもの、爽やかでいい匂いがして落ち着いた。まだ残暑で熱いのに、流に寄り掛かっていても全然暑苦しく感じない。

「気つけに何か飲ませるか?」と金髪の人が言う。「ここには人間の食料はない」流が失敗した、という口調で言った。

──ニンゲン……?
確かに私は(性別は中途半端だけど)人間だ。でも……流は──。

「あま~いキスでもしたら、しゃっきりするんじゃないか?」

金髪美人がからかうように言ったので思わず身体がこわばった。そおっと流を見上げたら、目を細めて床下を見ている。

それから視線を私に移す。左側だけ長い漆黒のストレートヘア越しから見つめられると、毎日見ていた顔なのに別の人みたいに見えた。圧倒的な美しさに変わりはないけど……。

流の瞳がふっと優しさを帯びる。私を抱く左腕に力が入り、私は流に抱き寄せられた。流は身体をかがめて頭を下げた。私のおでこに形のいい唇が押しあてられる。チュッと音がした。

「唇にしろ、唇に」

あきれたように金髪の人が言った。自分の顔にブワッと血液が上がるのがわかる。心臓はバクバクいって、飛び出てどっかに歩いて行きそう。

「効果抜群だぞ」と言う声の方をうらみがましく見ると、にやにやしながら天使が見ていた。「また〝結合〟が進んだし」などと訳のわからない事をまた言った。

「そうだ、これがあった」と美人が手に持っていたものを前に掲げた。さっき私がスーパーで買ってきた物を入れた袋だ。麦茶を沸かして冷やしておくのを忘れたので、とりあえず安い五百CCのペットボトルの健康茶を買ってあった。

持ってきてくれたんだ、と思って、うらみが感謝に変わってしまった。とにかく喉がからからで、痛かった。

「かして」

流は言うと袋の中からペットボトルを出して、右手に持って親指をふたにあてるとクッとまわして開けてしまった。私が両手でボトルを受け取ると、右手でくるくるとふたをまわして取ってくれる。

一口目は慎重に飲んだ。ゴクンとするとキリキリ喉が痛んだ。でも口が潤って気持ちいい。続けて三口ほどゆっくり飲み込む。身体に水が行きわたってスーッとした。

ほうっと息をついて流を見るといつものように優しく微笑んでいた。左腕はずっと私を抱いたまま。質問が頭の中をグルグル廻って、なかなか言葉が出てこない。

「もういい?」と流がペットボトルを指す。こくんと頷くと、流はボトルのふたを締め、さっき奥に蹴飛ばしたテーブルの上に置いた。

やっと周りを見る余裕が出た。部屋は十畳以上あるリビングだった。座っているのは高級感溢れるクリーム色のソファ。私と流がいるのが三人掛けくらいの大きい方で、向かいに一人掛けのサイズのソファが二つ並んでいる。

あいだにあったテーブルは奥に追いやられているけど、重そうな白い石造りのものだった。ソファの脇には五十インチくらいの薄型テレビが鎮座していた。うちの狭いアパートの部屋に置いて見たら、きっと目がチカチカするだろうな……と馬鹿なことを考えた。

一見して、高級ではあるけれど、普通のリビングだ。そこで下を見て、思わずバッと両足を上げた。私は靴を履いたままだ。絨毯はソファより濃いペールオレンジだったけど、私の靴の泥が付いたらきっと目立つ。

「気にしないでいいよ」流は言って自分の下を指す。「ぼくも履いたままだし」

「汚れたら嫌だもん。絨毯のクリーニングはものすごく高いから」私は靴を脱いだ。流はそんな私を見てクスッと笑うと、今度は自分から私に顔を寄せて、私の右ほっぺにチュウッとキスした。そこでやっと私から左腕を離す。

自分も履いていたブーツをずぼっと脱いで、真っ赤になって固まっている私の手から靴を取ると、絨毯の敷かれていない、ソファの後ろのフローリングの上に二足を置いた。

「これでいい? フローリングは拭けばきれいになる」言ってまた腕を私にまわした。

「う……うん。ありがとう」

まだ顔が熱い。それに、こんなことよりもっと大事なことがあるのに……。でも家の中で靴を履くのはやっぱり抵抗があった。「日本人だなぁ」と金髪美人が笑いながら言った。

流が目の前で私の肩を抱いていても全然気にならないみたい。自分はちゃんと靴を脱いでいて、一人掛けのソファに脚を組んで座っている。

「──さて、説明しなきゃならないぞ」

流を見ながら彼が言った。流は私の肩を一旦ギュッと掴むと眉根を寄せて下を向いた。そしてチラッと私を見る。その瞳にあったのは、明らかな──不安、だった。

「まず、自己紹介からだな」と向かいの席から声が掛かった。私は気を引き締めて顔を上げた。

「俺はリトリアム。リトと呼んでくれ」

その聞きなれない名前に一瞬面食らったけど、不思議と綺麗な響きだな、と思った。

「……よろしく、お願いします……」

躊躇いがちに言ったら、ちょっと流が口端を上げた。何かおかしなこと言ったかな……。

「最初に理解してもらいたい事は──」

リトが言うと、流の顔はまた沈痛な面持ちにもどった。

「俺たちは、人間じゃない」

──人間……じゃない?

ビクッとして流を見ると、ギュッと眉を寄せて目を閉じている。私が恐れをなして逃げ出すのを怖がっているのかもしれない。左手は少し震えていた。私は真っ直ぐリトを見た。

「訊かせてください。ぼくは──真実が知りたい」

私がそういうと、流は顔を上げてこちらを見た。安堵のあまり茫然としている。この人たちが何であれ、かなり人間に近い感情を持っている事は確かだ。

「いいんだよ」といきなり流が言った。意味が分からなくてポカンとする。流は目を細めて微笑んだ。

「無理に──話し方を変える必要はない。蘭にとって、自然な喋り方をしてほしい」

私は目を見開いて流を見た。S県からこちらに来て、男として生きると決めてから、兄の前以外ではなるべく男っぽい話し方をするように努力してきた。流の前ではなんとなく女の子に戻ってしまっていたけど、それでも気を遣って頑張ってきたつもりだ。

──私の目から、涙が落ちた。全然意識していなかったから自分で驚いた。流は私の涙を手でふいて、優しく笑って頷いた。

「──あたしに、本当の事話してくれる?」

私は流に向かって訊いた。

「もちろん、蘭が望むなら。ただ、かなり突拍子もない話に聞こえると思うけど」

突拍子もない話なら、一年前の病院で聞いている。私は下唇を噛んで、リトを見た。