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第十六話

それから数日間も、ずっと小さな嫌がらせは続いた。

筆箱の中の消しゴムやシャープペンがいつの間にか消えていたり、教科書が見当たらないと思うと、ごみ箱に捨てられていたり、机の中に食べ残したパンが入れられていたりした。

一つ一つはすぐに解決するような、子供のいたずらのようだった。でも私の神経は日に日にささくれだっていき、心のどこかがいつもピンと張りつめていて落ち着かなかった。今日は何をされるんだろう、と思うと重苦しい気持ちになる。救いだったのは何かある度、みんなが協力して助けてくれたことだ。

「なんでこんなことすんのよ。インケン野郎!」と菜々美ちゃんは怒りまくり、瑠璃ちゃんは涙ぐんだ目で「蘭ちゃん大丈夫? 落ち込まないでね」と何度も言ってくれた。遠藤は「気にすんな。ただの嫉妬だよ」と言ってなくした物を探してくれた。

河野は無言で探すのを手伝ってくれる。彼は口数が少ないので最初取っつきにくかったが、いつも快く協力してくれた。「こんなことをする奴は、いい死に方をしない」と河野がつぶやいた時は、その達観ぶりに思わず笑ってしまったくらいだ。

ただ、近藤だけは常に何がしか文句を言っていた。消しゴムをなくした時は「また買えばいいだけだろ? お前どんだけビンボーなんだよ」と言って別の男子のグループに行ってしまった。

近藤はこの数日間で別のグループと行動することが多くなり、私たちとは距離を置くようになってしまった。遠藤はそんな近藤に、嫌がらせの解決を協力するように呼びかけたり、一緒に教室移動したりして会話をする努力をしていた。でも相手が避けるので結局段々、話もしなくなってきた。

同じサッカー部で仲の良かった二人の関係が冷たいものになって行くのも、私には心苦しくてたまらなかった。

思いがけずいい友達に巡り合えて、私の男子としての高校生活も予想したより暗いものにならなくて済んだけど、私が入り込まなければ仲良し五人組に亀裂が入らなかっただろう……と思うと申し訳なくなる。

そう……、亀裂と言えば菜々美ちゃんと近藤の間も上手くいってなさそうだ。近藤は私たちとは別行動を取っても、菜々美ちゃんとだけは一緒にいたがった。

二日前の雨の日、私がさしてきた傘の骨がバキバキに折られていて、折れた骨の先で私は指を切ってしまった。菜々美ちゃんはすぐさまティッシュやカットバンをバッグから取り出すと、手早く傷の処置をしてくれた。

嫌がらせにあった物の数々、シャーペンや教科書はそれぞれすべてに血糊らしきものが必ず付いていて、もちろん傘も例外ではなかった。

みんなには見えないいつもの血と、自分が流した血を見て顔面蒼白になっていた私に、「犯人が分かったらあたしがそいつの傘をへし折ってやるわよ」と言って菜々美ちゃんは二カッと笑った。

そうやって菜々美ちゃんが私に親しく接すると、近藤の私に対する態度はますます冷たくなり、みんなからも離れていく。それなのに菜々美ちゃんには以前よりかなりあからさまに〝カレシ〟としての立場をアピールするようになってきた。

菜々美ちゃんと二人でいるときは教室でも肩を抱き寄せたり、彼女の手をつかんだりする。菜々美ちゃんは明らかに迷惑そうで、照れたり恥ずかしがっているというより、嫌がっているのがわかった。

恋人である近藤といるより遠藤としゃべっている方が楽しいようで、二人でにこやかに話をすることが多くなった。それを近藤が見掛けると、真っ青になって二人を睨みつけている。そういうときの近藤の表情は見ていて怖いくらいだ。

近藤の菜々美ちゃんに対するこだわりは、なんだか少し普通ではない気がする。一緒にいたい、独占したい、と思うのは好きな人が出来れば誰もが持つ感情だろう。

それが恋人同士の双方向から交わるものなら、お互いにとって良いことかもしれないが、片方の感情が強すぎたり重すぎたりすると一気にバランスが崩れる。近藤と菜々美ちゃん、二人で作った天秤はどうやらかなり片側に傾いているようだ。

これからバランスを上手く取り戻すことが出来るのか、それとも倒れて壊れてしまうのか……未来の事は分からない。菜々美ちゃんがつらい思いや哀しい思いをしないで済むといいのだけど……。



「図書室?」

流はその見事に整った眉を少しゆがめて私を見下ろした。

「うん。実はラブレターで呼び出されたんだ。時間と場所まで指定してあると無視するのも何だか可愛そうだから……」

私は自分のカバンを持って、流に返事を返した。今は放課後で、遠藤はサッカー部、菜々美ちゃんはテニス部、瑠璃ちゃんは調理部、そして河野は空手部に行っている。帰宅部は私と流、二人だけだ。

最近は、ずっと流と登下校している。嫌がらせがどう発展するか分からないから、と言う理由で行きも帰りもアパート前まで流が送り迎えしてくれている。

始めはそこまでしてもらうのも気が引けて、一人でも大丈夫だから、と何度も言ったが「通り道だしついでだよ」とさらりと返され、結局厚意に甘える形になってしまった。

嫌がらせやいたずらの続く毎日で、気分的にはどん底まで落ち込んでもいいはずだった。でも朝アパート前の電柱で私を待つ流を目にするだけで、世界の色全体が変わって見えるほどのときめきを感じてしまう。

流に見つめられ、柔らかく響く低い声を聞くだけで、身体の真ん中に熱が集まって狂おしいほど熱い塊が出来ていくのが分かる。遠藤や菜々美ちゃんもいい友達で、知れば知るほど好きになっていく。でも流に対する想いは……全然違う。

学校にいる時は目の端で、体中の感覚すべてで流を探してしまう自分がいる。流が女子の誰かと会話しているのを見ると手先やつま先の血がスッとどこかに消えてしまって、のどの奥が詰まって息をするのもつらく感じる。

特に菜々美ちゃんと流は最近話をする機会が増えた。会話の内容は私に対する嫌がらせのことがほとんどだけど、菜々美ちゃんに向かって流が微笑み返すだけで、切れ味の良くない刃物でこすられているみたいな鈍い痛みが胸の奥に広がる。

そんな時は、近藤の気持ちが少しだけ分かるような気がした。好きな人を一人占めしたい、というおそろしく身勝手な欲求を……。

私と近藤で違うのは、近藤には誰かと結ばれる未来があるだろうが、私にはそんな将来はあり得ない、ということだ。
流に対する想いにも、きっとブレーキが掛けられるはず。私の持つブレーキは大きくて……とてつもなく強力なのだから。

流は自分もカバンを持つと、私と並んで立った。

「そう。それならぼくも図書室に行くよ。奥に引っ込んで邪魔しないようにするから」

なんとなく、流はそう言うような気がしていたので、私はあえて断ったりしなかった。私はなぜか女子からラブレターをよくもらう。女子でいた一年前までは男の子にモテなかったのに、男子として生活するようになってからの方が異性(というのかな?)にモテ始めた。私なんかの何がいいんだろう。

男性の行動にも疑問を持つことが多いが、女の子のやることにもナゾを感じるようになってきてしまった。ラブレターに携帯のメアドだけが書いてあるものは、相手もことも良くわからないし、私自身が携帯を持っていないので返事をしたことはない。

だけど、呼び出しに関してはなるべく出向いて直接断るようにしている。ほっておいてもいいのだけど、私の事をずっと待っているかもしれない、と思うと気の毒になってしまうからだ。

一度流に、あんなにたくさんのラブレターをもらって、どうするのかと聞いたことがある。流は一応全部に目を通すけれど、それ以外は特に何もしないと言っていた。いちいち真面目に対応していたら、自分の時間がなくなってしまうからだそうだ。モテるのも結構大変なものなんだな……。